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というわけで、今日はみんなを連れて調布飛行場へ。
アルバムのジャケット撮影です。(カメラマンはおなじみの長谷川大)

夏の終わり8割、秋のはじまり2割、といった感じの素晴らしい空でした。

実は「調布飛行場」という歌は6thアルバム「アコースティック」の収録曲なのですが、今日の撮影は5thアルバム「レテパシー」のジャケ撮影。
というのも「アコースティック」収録曲は故郷の北海道空知地方の歌が多く(5曲かな)それならジャケは俺一人の写真を空知で撮ろう、と7月に撮影しに行ってしまっていて(月形で撮ったよ。お楽しみに)その時に、オマケでこんな写真も撮れまして、、(これも長谷川大、撮影)

これを、メンバー5人で撮ったら「レテパシー」のジャケに良いんじゃない?これなら東京でも撮れるし。という事で、この感じの車内写真を撮るけど、せっかくなら思い入れのある「調布飛行場」の駐車場で撮ろう。メンバーにも歌の舞台を見せたいし。という事で本日やって来たのでした。

が、結局、先日のロケハンのおかげで、着陸態勢のセスナとの最高の一枚が撮れてしまったので、車内写真は撮らず、飛行機との写真になってしまいました。

ややこしいですね。
簡単に書くと、
「調布飛行場」という歌は6th「アコースティック」収録。
だが、5th「レテパシー」のジャケ写が「調布飛行場」での写真。

まあ、良い写真だから別にいいんだ。
お楽しみに。
明日は6thのボーカル録音。がんばりまーす。
皆さん西荻窪の方に向かって、成功を祈っていて下さいね。

PS.「いいね。」「うん。飛行機だけど、レテパシーって感じするし。これで決定で。」という会話の場面。

皆さん4thアルバム「ブルースマン」聞いてみました?どーでした?

最近は、3rd、4thのボーカル再録音や再マスタリングなどもあり、過去作をいじくり回してばかりいて、なかなか神経を使いましたが、これからは前だけ見ての新作制作なので、のびのびと思いっ切りイカれてやろうと思います。

今は6thアルバム「アコースティック」制作の真っ只中です。(ちなみに5thアルバム「レテパシー」と同時発売を目指しています。)
今作はボーカルは別録りなので、俺以外のメンバーの録音を先にやりまして、みんなのパートは終わりました。

6thの5曲目は「調布飛行場」という歌ですが、コードはAの一つだけ、というレテパでも最小コード数の歌になっています。
この歌で高野京介は凄まじいギターを弾いて、知恵熱まで出して、才能をいかんなく発揮しておりました。
「レテパには、やはりストラトだな。しかも俺と同じ年で同じ岩手出身のストラトを買ってきて改造したんだ。」と、彼の好きな紫色のストラトを用意してきたのですが、この改造が奇跡を起こしたらしく、ギターにはうるさいタカユキカトー(ベース&録音担当)も衝撃を受ける程の美音を奏でておりました。
結局、今作はこの紫のストラト1本で全曲録ってしまいました。(あ、「アコースティック」だけどアコギの曲は無いよ。全エレキだよ。)
エフェクターもギターも、好きな人が見たら興味あるんだろうから、写真の一枚でも撮れば良かったね。
俺は前作5thの録音の時から、傑作意識が強すぎるのか、メンバー録音時に集中し過ぎて激しい頭痛と吐き気に襲われるので、写真を撮る余裕はありませんで、すみません。(自分のパート以外の時だけね。歌う時は全然大丈夫。)
90年代のスキー靴みたいな見た目のギターでした。ライブで披露できたら良いですね。
あと、エフェクター関連では「やっぱりラットだね。」というタカユキ君と高野君の会話だけは覚えています。(あと俺は「トレモロ」というのが大好きな事が判明した。9曲目「猫との午前」でトレモロ大活躍するよ。)

昨日は暇だったので、歌の舞台の「調布飛行場」に行ってみました。
歌が出来たのは2008年だから、12年振りで記憶も曖昧でしたが、歌の舞台の調布飛行場に隣接した「武蔵野の森公園」に着くと、歌に出てくる「滑走路」「一番見渡せるベンチ」「貯水池」果ては「自分の足ばかり見ている30代と思われる男性」までちゃんといて、歌のまんま過ぎて、我ながら面白かった。
そして、忘れた頃に、ブーンとセスナが着陸。
アルバムが完成したら、皆さんも行ってみて下さい。
笑っちゃうくらい歌のまんまなので。
(まあ、どの歌もそうですが。いつか「レテパ歌舞台MAP」でも出すか。)

「調布飛行場」

調布市の離島行きの飛行場 やって来たプロペラはセスナ
平日の滑走路に降りて来た 今日ここに用のある家族

離着陸よく見える公園でも 一番見渡せるベンチで
30代と思われる男性 自分の足ばかり見ている

夏がやって来たのが今日の僕は 慣れない日焼け止めのニオイ
もう一機来るまで待ってるか だけども静かすぎる夏の空

貯水池の水 心通さずに見てる人達 神様みたいに
誰も何も見ていない そんな時 エンジン音 みんな見上げた

調布市の離島行きの飛行場

こんな歌詞です。
この頃は、近所に住んでいたので、暇な時よくここでボーッとしていました。

ちょうど、アルバムのジャケット撮影の場所を捜していたので、明後日またメンバーみんなで行って、撮影してみようと思っています。

色々と佳境で、ゆっくり文章を書けなくて、すみません。
でもあまり書かないと、心配してくれる人もいるので、とりあえずの乱筆で失礼。
とにかく、勝手に人生の集大成のクライマックスを迎えている気分になって燃えていますので、5th、6th、ご期待下さい。

PS.先日テレビで「色んな歌手がボーカルを一発録りする動画がYouTubeで流行っている」という特集をやっていた。
最近は俺も毎日家で歌っているので、自分の歌う姿はどんなかな?と、撮影してみてもらった。
6thの2曲目収録の「いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま」です。
これも2008年頃の歌だな。
本番は明後日。がんばりまーす。

「いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま」

病院のニオイ セーターのニオイ 急ブレーキでゴムが焼けるニオイ
思い出したのは岩見沢の事 僕の住んでた岩見沢の事

いなくなったのは僕の方じゃなく 岩見沢市の方がいなくなったのさ
僕は今でも12号線国道の放置自転車のつくる日陰で涼んでます

通る車 7割は札幌ナンバー 2割は旭川で 残りは見知らぬ土地

行ってみたのさ いつだって どこだって
いつも心だけはこの日陰で涼ませたまま

りょ~ゆ~の裏道 りょ~ゆ~は岩見沢のスーパー そこを歩いてくと放置自転車があって
サドルの錆がとってもいい感じ 僕の体も同じ部分が錆ていく

僕に触れた君は赤錆に気付くか 僕は覚えてる全ての風景を

なんだってやれるさ いつだって どこだって
いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま

今日はどこで何をしよう 何を言おうか 赤錆に吹く風を日陰で感じて

どうにでもなれるさ いつだって どこだって
いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま

4th歌詞英訳、読みましたか?
俺は英語はチンプンカンプンですが、
Good-bye the long night and MOON PALACE
というのが、素敵な気がしたので、今、中学生だったら教室の机に彫っていた事でしょう。

というわけで、明日8/31は4thアルバム「ブルースマン」(ボーカル新録盤)のサブスク解禁です。
(多分、今日の24時になるとここで聞けるよ。)
今回も色々解説してみようと思います。

「ブルースマン」は2019年6月3日発売でした。
発売と言っても、3rdアルバム以降は、商売をする余裕がなく、CD屋では取り扱っていないので、このページでの通販開始の日にちになります。
予約特典では、俺の手書きの歌詞(手首の腱鞘炎をおして、がんばって書きました。昔剣道部だった時の古傷がまだ治らない)を付けました。
収録曲から好きな歌詞を選んで貰いましたが、一番人気は「夜明け前」でした。

発売は2019年ですが、アレンジのスタジオ、録音は2018年でした。
ジャケットのクマは、チェコのアンティーク。
クマの持っている、鍵盤も、チェコのアンティーク。
カメラの長谷川大とうちで「ジャケどうしましょうかねえ?」と話してて、思いつきで撮ったら素敵なジャケになった。

撮影した時は、断酒治療も3ヶ月経ち、俺は邪気が抜けて神々しくボーッとしてまして、その様子を大ちゃんが面白がり撮影した写真もジャケ候補になったが、改めて見るとクマにして良かったね。ちょっと神々しすぎる。

全曲解説を始めるにあたり、まず最初に書いておきたいことは、ここまでのメンバーの推移だ。

1st「僕を殺せるのは僕だけさ」
ボーカル、俺
ギター、はなえもん
ベース、寺中四
キーボード、ユキコトーキョー
ドラム、鈴木亜沙美

2nd「愛してるよ」
ボーカル、俺
ギター、はなえもん
ベース、飯田裕
キーボード、ユキコトーキョー
ドラム、鈴木亜沙美

3rd「永遠に、たまに」
ボーカル、俺
ギター、はなえもん
ベース、飯田裕
ドラム、鈴木亜沙美

そして、4th
ボーカル、俺
ギター、高野京介
ベース、飯田裕
キーボード、ハダユキコ
ドラム、関口萌

※ユキコトーキョーとハダユキコは同一人物。
昔ユキコは「ずぶぬれシアター」というバンドでメンバーに「ユキコロンドン」と勝手に名付けられ、池袋あたりではロンドンと呼ばれていた。
レテパ加入にあたり「ロンドンじゃピンとこないから、東京出身だからトーキョーにしよう。」という事でこうなったが、飽きたみたいで、本名のハダユキコになった。

メンバーの推移を見てもらって分かると思いますが、毎回ちょこちょこ変わっています。
が、4thは劇的に変わっています。
ので、レテパを前期後期に分けるなら、間違いなく1〜3、4〜6でしょう。

2018年の記憶はほとんど無いが、バンド自体は新メンバーとユキコの復活により活性化されまして、実はとても充実した状態だったと思う。
ベースの飯田裕は、高野京介の事をミュージシャンとして昔からライバル視していたらしく、一緒に演奏できるのをとても喜んでいて、スタジオでも、時には挑みかかるように演奏していました。

関口萌とは、彼がParadiseというバンドでドラムを叩いていた頃から面識はあったが、その頃は一緒にバンドをやる事になるなんて、思いもしなかった。
が、叩いてみてもらうと「このメンバーならアディーよりも萌ちゃんだな。」とすぐに思えた。とてもしっくり来た。
アディーは最高のドラマー(札幌時代、20才からの戦友)だったから、次のドラマーがすぐにしっくり来るなんて、滅多にある事じゃ無い。
俺の体調のせいで、この5人でのライブは2018年のハイコーフェスのみで、もったいない事になってしまったが、奇跡の5人が揃っていたと思う。

レテパは俺がもう作ってある歌を、アルバム制作ごとに10曲選びアレンジしていく。
曲を選ぶ際は、メンバーの個性に合いそうな曲、そして選曲の時点でアルバムの曲順も基本的にはイメージしておく。

「7月12日、13日」「夜明け前」「MOON PALACE」「アズミ」なんかは、ソロでもよく歌っていた、お得意のナンバーだったので、1st〜3rdまでも毎回、入れたいな、と思いつつ、でも何か違うな、と諦めていたので、このメンバーで音を出した瞬間に「この曲にはこの5人だ。今しかない。」と張り切って選曲した事を覚えています。

長くなりましたが、レテパにとってものすごい変化、そしてとっても重要な一枚だという事です。
まあ、聞いてみて下さいね。

では、全曲解説。

「ブルースマン」
俺にとって、ブルースマンと言えば「山下由」「大槻ヒロノリ」「アズミ」あたりです。
この歌が出来て、数年経ち、山下さんのライブを見た時の歌か、大槻さんのライブだったか、忘れてしまっていましたが、出来た当時周りに「大槻さんの事を歌った歌だ。」と言っていたらしいので、大槻さん(真黒毛ぼっくす)が正解です。
どこのライブハウスだったかは忘れたが、美しく見えた街は歌舞伎町だったから、マーブル、モーション、ジャムあたりか?
大槻さんのアパートに行った事ある人は知っていると思いますが、大槻さんちの玄関のドアには「大槻」以外に「古宮」と紙の切れ端のようなボロボロの表札が貼ってあります。
さて、なぜでしょう?
なぜか分かる人は、東京インディーズバンド検定3級くらいです。
「ブルースマン」歌詞はこちら
(2011年作詞作曲)

「ロックンロールⅡ」
らーららーらー、で始まる短い歌。
この、らーららー、を聞いて、聞いた事あるぞ、と気付いた人は、東京インディーズバンド検定8段くらいです。
レテパがライブで本番前のリハが出来なかった時に、ちゃちゃっと音出して確認する際に、いつもこの、らーららーらー、のメロディーで音出ししていました。
2017年11月20日に、ムカつく2人組(片方は女性の性感帯みたいな名前のミュージシャンだったみたい。俺は知らなかったが。ライブ中うるせえからビールの缶を投げつけたら喧嘩になった。性感帯じゃない方が「この人を誰だと思ってるんだ!」とキレてきて、今でも思い出すだけでムカつく。)と喧嘩して、のちのちもムカついていたら、らーららーのメロディーに歌詞が付いた。

余談だが閉園直前の20:30頃のとしまえんでは、閑散とした園内の、あちこちにあるBOSEのスピーカーから、古いロックンロールが大きな音で流れていて(音量はずっと昼間から一緒なんだろうが、閉園直前のひっそりで、大きく鳴り響くのだろう)この間、久しぶりに「ロックンロール」と再会しました。
あんなの、タイムマシンでも無いと、体験できないよ。ラッキー。
「ロックンロールⅡ」歌詞はこちら
(2017年作詞作曲)

「7月12日、13日」
札幌時代の友人ヨシカワさんの通夜と葬式の時の歌。
俺は東京に住んでいて、札幌の新琴似での葬式に行くと、久しぶりの人達が「よく来たねえ。」と懐かしがって喜んでくれたのを思い出す。
葬式は町内会館で行われ、まあ、全て歌のとおりです。
この歌と「愛は風景」は同日の事を歌っているので「朝早くからの雨」と「雨の信号」の雨は同じ日の雨です。
演奏では、2番の間奏、美しいでしょう。
ユキコの階段のようなシンセの音と、その階段に響く鐘の音のような高野君のギター、萌ちゃんのコーラス、それを柄にもなく支えるいーちゃん。素晴らしい。
ちなみに冒頭のトランペットは俺。
「7月12日、13日」歌詞はこちら
(2009年作詞作曲)

「夜明け前」
高校の時に悲しい別れ方をした彼女の事を思い出して歌っています。
彼女のお父さんは自殺してしまい、そんな彼女を大切にしてやりたい気持ちはあったのですが、俺はアルトサックスや歌に夢中で、今までの全てが嫌になってしまっていたので、彼女を避けてしまい、後々悪かったな、と思った。
卒業後、数年経って彼女とは再会したが、彼女の彼氏のヤンキー軍団に札幌ドームの近くの駐車場で囲まれたりして、最終的にはポップな喜劇で終わりました。
実はこの歌のピアノは高野京介。ユキコはピーンピーンというシンセの音担当。
そう言われて聞いてみると、非常に男性的なピアノです。
「夜明け前」歌詞はこちら
(2007年作詞作曲)

「MOON PALACE」
札幌市東区にあった「MOON PALACE」というライブバーのお手伝いをしていた頃を思い出して出来た歌。
手伝っていたのは10代の最後くらいだったはず。
お客さんと「えー!10代!?」みたいなやり取りをよくした記憶があるので。
ムンパが閉店する、と風の噂を聞いたら出来たんだと思う。その時、俺は東京にいた。

1番のスーパーは「エース(ハッピー)」という買い出しに行っていたスーパー。
2番の「北光病院」は「北光記念病院」(病院の駐車場を勝手に店の駐車場にしてた)

位置関係は写真の感じです。(多分ムンパの元町会館はセイコーマートになったんだな。)

F、Am、Dm、Dm、Am、F、の単調な繰り返しがこんなにドラマチックになるんだから、いいバンドだったと思う。
4カウントから音が流れた瞬間、真冬のムーンパレスに俺は立っています。
あの頃のムンパを知っている人達に、聞いてもらいたいなあ。
生意気なクソガキだったフルミーも少しは成長しましたよ。多分。
「MOON PALACE」歌詞はこちら
(2008年作詞作曲)

「アズミ」
アズミさんは、俺が高校生の頃から大好きな、年中日本各地を歌い歩いている歌手。
17才の頃の一人旅の帰り、フェリーで降り立った苫小牧にあった「ウエスト」というレコード屋で試聴して「ブルーズのいいなり ロックのどれい」を買った。
ヴァンモリソンの「クレイジーラブ」のアズミさんの訳の日本語カバーは、当時の恋のテーマ曲になった。
その後、2000年10月1日に161倉庫でアズミさんのライブがあり、見に行き、その時161の店主KCさんに俺は拾われた。
この、アズミ〜161倉庫の流れがもし無かったら、俺の歌手人生は全く違うものになっていたと思う。
8年前の〜とあるので、25才の頃の歌ですね。
横浜で〜の店は、サムズアップ、だった。

高野京介のギター人生の中で、初めてのアコギ録音だったらしい。
素晴らしい音を出しているギターは俺のヤマキのアコギで、先程のヨシカワさんの葬式の後に、ムーンパレスの女店主ホンダがくれたものだ。
ギターと共に送ってくれたメールの文章が「愛は風景」2番の歌詞になっています。
高野君のアコギも素晴らしいが、間奏のエレキソロも凄いね。
飯田裕のトゥルルルなベースも素敵。
「アズミ」歌詞はこちら
(2008年作詞作曲)

「丘の上の学校からどっかへ行っちゃった君へ」
歌のまんまだが、登戸の図書館をよく使っていた頃、チャリに乗って、雨降ったり風吹いたりしてたら出来た。
丘の上の学校は、岩見沢緑稜高校(偏差値49)という我が母校の事。
「アズミ」が終わり「丘の上〜」から次の「サマー」につながる流れがとても好きです。
「丘の上の学校からどっかへ行っちゃった君へ」歌詞はこちら
(2010年作詞作曲)

「サマー」
俺の妹(元小学校の図工の先生)は昔、サマーの「夏の海を見た時に 思う事は変わったけど 夏の海を見る事は 変わらないようです」という歌詞が好きだと言っていた。
俺は小学生の頃、怖がりで、テレビでみんなのうたの「メトロポリタンミュージアム」が流れたら怖いからテレビを消してくれ、と家族に頼んでいたのに、この妹がふざけて消さずにボリュームを上げたので、包丁を持って追い回したことがあるらしい。
「わたし、お兄ちゃんに、包丁で殺されそうになった事があるよ。」と言っていた。
よく生き延びて、この歌詞の素晴らしさに気付けるまで成長したな、妹よ。

間奏前の4拍の4発にみんなの全てを込めて、その後のギターソロにつなげよう、このアルバムのクライマックスをここに持ってこよう、とアレンジの時からこだわっていました。
どうかな?クライマックスになれたかな?
「サマー」歌詞はこちら
(2012年作詞作曲)

「ヘルメットヘアー」
実はこの歌だけ、ボーカル再録するか悩んだ。
というのも、結局結婚はしたが、この時は、ベロンベロンの借金まみれで、酒やめる気も金返す気も無く歌っているから、この歌の良さがあるわけで、今のシラフで歌って意味があるのか、少し疑問だったからだ。
で、一応歌ってみたら、新録のほうが全然気に入ったので、新録にした。

90年代なイントロと、俺のクズなプロポーズに呼応するかのような、ユキコの海中漂う昆布のような、ゆらゆらと達観した、ファンタジーでコメディーチックなシンセが素晴らしい。
このシンセの昆布な感じ、彼女の人生の全てを物語っています。
「ヘルメットヘアー」歌詞はこちら
(2018年作詞作曲)

「僕のレテパシーズのテーマ」
この歌は実は昔「アシカラズ」というバンドを札幌でやっていた時に「アシカラズのテーマ」として作られた歌。
が、とても気に入っていたので、2010年にレテパを結成した時に、レテパシーズのテーマにした。
ので、厳密には作詞作曲は2002年くらい。
この歌も1st〜いつか入れたいな、と思っていたが、どうしても浮いてしまい、なかなか入れられなかった。
が、「ヘルメットヘアー」〜の流れなら違和感なくいける、と思いついに収録。
ありがとうヘルメットヘアー。
「僕のレテパシーズのテーマ」歌詞はこちら
(2010年作詞作曲)

というわけで、4th全曲解説、いかがでしたか?
2018年はもうライブをする余裕もなく、ましてやPVとか宣伝する余裕なんてあるはずもなく、このアルバムが一番聞かれていないと思います。
(そんな中、聞いていてくれたあなた、ありがとう。あの時の通販の注文の一件一件にどれほど励まされた事か。通販の名前の中には「鈴木亜沙美」の名前もあり、聞いた後メールをくれて、いいの作ったねー、と喜んでくれた。)

今回ボーカル再録で改めて深く向き合ったけど、ほんと素敵なアルバムだと思いました。
これから沢山の人に聞いてもらえたらいいね。

5th、6thも負けないように、最高傑作目指してがんばる。
(5thと6thはちゃんとPVも作ってるのでお楽しみに。)

3rdアルバム「永遠に、たまに」(ボーカル新録盤)聞いてくれましたか?
前の方が好きな人もいるかもしれません。
どっちを好きになってくれても嬉しいだけなので、遠慮なくどちらかを好きになってやって下さいね。

8/31には4thアルバム「ブルースマン」(ボーカル新録盤)もサブスクスタートです。
こちらは3rd以上に、前のと新録盤で違うと思います。
でも、僕のレテパシーズの僕は、俺やあなた一人一人なので、あなたのレテパシーズでは、あなたが全てですので、俺が新録盤をめちゃくちゃとっても気に入っているからといっても、気にせずに好きな方を好きになってね。

でも、多分、新録「ブルースマン」良いよ。
お楽しみに。

※3rd,4thアルバムボーカル再録の経緯はこちら

最近は3rd、4th、と過去ばかり振り返っている終わったバンド、と思われているかも知れませんが、ニューアルバムの録音も絶好調で進んでいます。
6thアルバム「アコースティック」はアコースティックと言いつつ全くアコースティックじゃないけれど、最高傑作になりそうです。
「6枚のアルバムだけは」「6枚のアルバムだけは」と、2015年あたりから、それだけの為に生きてきました。

ここで、最近大分終わりが見えてきたので、近況をまとめようと思います。
前に書いた日程と、少し変わっています。ごめんなさい。
また、変更あるかもしれませんが、、。多分こうなる。

以下今後の予定。

2020年

8/31、4thアルバム「ブルースマン」(ボーカル新録盤)サブスクスタート

10/31、5thアルバム「レテパシー」6thアルバム「アコースティック」CD発売
※3rdアルバム「永遠に、たまに」(ボーカル新録盤)4thアルバム「ブルースマン」(ボーカル新録盤)のCDも、このタイミングで用意出来るかと思います。

※5thアルバム「レテパシー」6thアルバム「アコースティック」のサブスク配信も、10/31を予定していますが、もしかしたら、10/31に5th、11月中旬に6th、とかサブスクは少しずれるかも。またお知らせする。

※コロナ無かったら11月にレコ発ワンマンだー!と思っていました。
でも中途半端な事はしたくないので、もうちょっと考えるね。

とまあ、こんな感じになるでしょう。

5th「レテパシー」は9/30に発売だ、と言ってしまっていましたが、ごめんなさい、3rd、4th、の再録等で予定が詰まってきたので、やはり6thと同時になりそうです。
5thも絶対にすげえアルバムにするから許してね。

というわけで、まずは4th「ブルースマン」まで、あと4日。
先程「歌詞」のページに「ブルースマン」10曲の英語訳(訳者は織田泰菜さん。ありがとう。)も掲載させて頂きました。
日本人も外国人も、4日間歌詞を読んで予習して待っててね。
(俺は子供の頃からCDを買うと、まず歌詞カードだけを何度も読んでから、CDを聞いていたよ。)

PS.「才能がなかったんだろ」の歌詞、歌詞ページに載ってないぞ、とご指摘頂きましたが、なんとなくあのページには全アルバム60曲の歌詞しか載せたくないので(61曲になるのが嫌なのかも。奇数が嫌い。多分誕生日が1982年12月2日だからだろう。マリア・カラスと谷内六郎と同じだよ。いいだろ。)とりあえず、ここに載せときます。
魂の叫びを読んでみて下さい。

「才能がなかったんだろ」

才能がなかったんだろ

古宮さんは口が達者だから冷静に客観的に数字だけを見てみましょうよ
スポティファイ ユーチューブ アップルミュージック
僕のレテパシーズも10年がんばってやってきたんでしょう
確かな判断材料です 最後の決断といきましょう

今週の再生回数は ロックンロール5回 札幌ナンバーは4回 君しかいない 空知2回
愛は風景 やさしい人 ロマンチック 夏のしっぽ 再会 北 SFマンボ 東区が恋しくて0回

才能がなかったんだろ

1枚のアルバムを配信するのに1年で約5000円
今2枚の配信が終わって この後合計6枚になる
今月の配信売上は0,776円
20曲で1円に足りない 自然と廃盤になるのだろう

「6枚のアルバムだけは」「6枚のアルバムだけは」
魔法のように 呪文のように 「6枚のアルバムだけは」
遺書のように 遺言のように ずっと続くバトンのように
本当の無観客だ 才能がなかったのさ

ハローグッバイファックユー けっこう多いな14回
見知らぬ青年との会話 1番多いな17回
ロックンロールじゃ踊れないと17は2回
1週間の再生回数 海へ行こうよ4回

才能がなかったんだろ

聞く方に

仕方がない これで終わり

才能がなかったのさ

聞く方に

PS.8月は2回も、今月で閉園になる、としまえんに連れて行かれました。
ミステリーゾーンと流れるプールから見える青空に浮かぶ海賊達の勇姿が大好きでした。
さようなら、としまえん。

だが、俺にはまだ岩見沢の三井グリーンランドがある。
このグリーンランドの観覧車は6th「アコースティック」収録の「夕立が降ってる」に出てくる観覧車です。

先日配信して、すぐに配信停止になりました、3rdアルバム「永遠に、たまに」(Vo新録盤)は8/20より再配信されます。
お騒がせして、すみません。
(8/20になるとこちらで聞けます。)

※Vo新録についての経緯はこちらにて。

これからも6thアルバム完成まで、もしかしたらドタバタあるかもしれませんが、せっかく無名の自主制作なんだから、せめて自由に1ミリも後悔の無いようにとことんやりますので、お付き合い下さいね。

シングル「才能がなかったんだろ」は聞いてくれましたか?
サブスク配信のみなので、未だCD世代の人達は聞けずに困っているかもしれません。
サブスクが出来なくても、ユーチューブが見れれば、ユーチューブでも聞けるようです。
メカ音痴のあなたはこちらでどうぞ。

先日、母親に会ったら「ひろし、お金あるの?」と聞くので「無いよ。くれよ。」と言ったら「嫌だー。いい年して。」と言うので、じゃあ聞くなよ、と思いましたが、せっかくなので「今、3rdと4thもボーカル再録して、もっと良くしてる。ブルーハーツとハイロウズを合わせて、その中から好きなアルバムを6枚並べて、それにも負けない6枚になる予定。ちなみにその6枚はお母さんもよくご存知の「THE BLUE HEARTS」「YOUNG AND PRETTY」「TRAIN TRAIN」「ロブスター」「バームクーヘン」「DUG OUT」の6枚だ。絶対に負けない6枚になる。」と言ってやったら「ひろしに才能があるのは分かるけど、聞く方に才能がなかったら、どうするの?」と言いやがったので、それもこの歌が出来るキッカケになりました。
(この母は俺が17才の頃に「これからは歌を歌う事にする。」と伝えたら「反対。歌はやめときなよ。詩だけにしなよ。古宮家は歌が下手なんだから。」とほざいたことがある。)

3rdアルバム「永遠に、たまに」配信まで、あとちょっと。
1st、2nd配信時にはツイッターにて、過去の関連映像をお送りしましたが、先日書いたとおり3rdの2017年以降は、ライブも無く映像もありませんので、あしからず。

代わりに、以下3rd「永遠に、たまに」解説です。
では、8/20をお楽しみに。

これは、当時はなえもんが描いた「ユキコ脱退の図」。
というわけで、このアルバムのみキーボードがおらず4人編成。

ボーカル/古宮大志
ギター/はなえもん
ベース/飯田裕
ドラム/鈴木亜沙美

ジャケット写真は2017年、最悪だった静岡でのライブの帰り道、落ち込んでた俺を励まそうとしてくれた?のか、帰り道に砂丘がある、ということで立ち寄った真夜中の「中田島砂丘」にて。
PV「永遠に、たまに」もこの時の様子を元に、飯田裕が作ったもの。
※3rdのPV「永遠に、たまに」「ホープちゃん」のボーカルは旧テイクですが、そのままにする事にします。

このアルバムのミックスは飯田裕です。
理由は「2nd購入特典のカバーシリーズCDは飯田裕が制作したが、それがその頃の4人の気分にピッタリの音だったから。」です。

当時のアー写。描いたのは、はなえもん。
3rdのCDの盤面のデザインや、開いた最初の手描きのページなんかは、はなえもんが描いた。
ほんとは全てはなえもんがデザインする予定でしたが、制作途中で脱退したので、ジャケは急遽、俺が写真を選びました。

このアルバムから、CDの全国流通、をしなくなった。
アルバムを作る事だけでギリギリで、商売をする余裕なんて無かったからだ。
借金はふくらむ一方だが、金に無沈着過ぎる俺を見かねて、いーちゃんが「Tシャツを作り、CDと抱合せで売るので、何か描いて下さい。」と言うので、描いた「クマとビール」Tシャツ。
「アルコール依存症を絵にして下さい。」と言われたら、この絵でバッチリだと思う。
表情といい、黒ラベルから、星だけを抜き取るポップで異常な様子といい、うまく表現できていると思います。

では、以下全曲解説。

1.深海
アレンジ時に「俺の歌と同じ尺で後奏を入れよう。そして、歌が前奏で、メインは後奏部分、というような演奏にしよう。」と提案したのを覚えている。
そして、ちゃんとそうなりました。聞いてみてね。
三笠市立博物館は、俺が小学校時代に化石博士だった頃、よく質問しに行き、お世話になった博物館。
(2016年作詞作曲)

2.夜に名前を
2015年に1st「僕を殺せるのは僕だけだ」を流通する際に、自主レーベル名が必要で、当時この歌が世界一カッコいい、と思っていたので「では「夜に名前を」というレーベル名にしよう。」と決めました。
ので、CDの品番が「YORU-○○」となっています。
新代田に住んでいた恋人の部屋の窓から、井の頭線の電車と、大きな送電線の白い鉄塔が見えました。
(2011年作詞作曲)

3.ホープちゃん
新百合ヶ丘にある俺の叔父が院長の動物病院でバイトしてた頃に出来た歌。
ホープちゃんの本名はちーちゃんでした。
この歌のPVは、はまもとりさ、という絵描きの方が作ってくれました。
(2013年作詞作曲)

4.ラブソング
歌詞の通り、久しぶりに出来た歌。
(2016年作詞作曲)

5.雨の日々
増えすぎだね、なんて言っていた傘が気付けば無いように。
川崎市多摩区稲田堤のアパート時代はまさにそんな日々でした。
(2009年作詞作曲)

6.ていくいっといーじー
プレイボーイぶるつもりは無いが、誰かは覚えていないが女の子と街を歩いていたら出来た歌。
街は高円寺。
演奏はまだ覚束無いが、強く激しく演奏してみたい初心者バンドマンはこの歌を演奏すれば良い。
コードがEとAの繰り返しだから、簡単なはず。多分。
よく「3コードで歌は出来る。」とか、偉そうにパンクぶるやつがいるが、2コードで歌は出来る。
(2013年作詞作曲)

7.君の思い出
俺のポーグス愛が滲み出てしまった、アイリッシュな編曲。
6thアルバム収録予定の「いつも心だけはあの日陰で涼ませたまま」もポーグス愛炸裂。
アイルランドと空知の感じは、多分似てるんだろう。
歌の内容は、当時の恋人とデートした場所の名前を羅列しているだけ。
ヤチブキ、カタクリ、エゾエンゴサク、フクジュソウ、と北海道の雪解けの春に咲く花には詳しいが、内地の花には興味が無い。
が、アジサイが終わる頃にバラが始まる、という事だけは、この歌のおかげ(彼女のおかげか)で知っている。
(2011年作詞作曲)

8.ユーレイ
この歌も、歌うと稲田堤のアパートを思い出す。
当時の同居人がよくソファーで寝落ちしてて、邪魔くせえなあと思っていたら出来た。
(2008年作詞作曲)

9.バスが来るまで
岩見沢緑陵高校からの帰り道の歌。
「大学の近道」の大学は「岩見沢教育大学」でこの大学の敷地内を通り抜けると、バス停への近道だった。
「缶詰の灰皿が揺れて〜」という歌詞があるが、ちょっと前、20年振りにこのバス停の前を通って見たら、缶詰の灰皿は無くなっていた。
が、バス停の横に潰れたタバコ屋があった。
あー、そうだった。タバコ屋だから灰皿置いておいてくれてたんだ。と懐かしかった。
ちなみに「春日町」というバス停です。
(2007年作詞作曲)

10.永遠に、たまに
新曲だったし、当時「永遠に、たまに」という気分で生きていたので、アルバムのタイトルになった。
(あの頃を支えてくれたあなた、ありがとう。本当に助かったよ。)
珍しく歌が出来る前に「永遠に、たまに」という言葉だけが、心の中に先にあった。
高校生の頃、一人旅で宮古島に行った時に、とても仲良くなった少年(まさし)がいた。
それから17年間一度も連絡を取っていなかったのに、いきなり電話が来て「にーにー、約束したのになんで会いに来ないんだよー。」と17年前の軽い再会の口約束を、まるで1週間前の大切な約束のように怒られて、嬉しくて出来た歌。
もう一生会わないのだろう、と勝手に思っていたが、まさしとの数日間を大切に忘れずに(まあ、永遠に、たまに、思い出す程度ですが)生きてきた。
で、相手も同じ気持ちだったみたいなので、すげえ嬉しかった。
とてもつらい時期だったので、この歌が出来て救われた。
絶望的な状況だったけれど、自分は間違ってはいないんじゃないか?と、思えた。
(2017年作詞作曲)

以上「永遠に、たまに」解説でした。
それでは8/20をお楽しみに。

【お知らせ】
3rd「永遠に、たまに」の再配信まもなくです。
ごめんなさい!お楽しみに!
(配信延期の経緯はこちら

僕のレテパシーズのニューシングル「才能がなかったんだろ」が明日配信されます。
配信されるとこちらで聞けます。

先日「最初で最後の一人宅録多重録音」と題して文章書きました。
それにニューシングル発表の経緯が書いてありますので、読んでない方はまずこちらをどうぞ。

その文章に載せました、配信のきっかけになった、この画像↓

やけっぱちなので、この画像をジャケにしようと思って登録したが「収録曲以外のタイトルが掲載されているので不可です。」と断られた。

文字を小さくしたり、画像を手の上に載せてみたり、色々小細工して再送しまくったが、目をつけられたらしく、ことごとく見破られ、どうやってもNG。
仕方がないので、じゃあ最初で最後の宅録記念に、お世話になったキーボードの音色の名前の画像にするか、と、この写真をジャケにした。

この前も書いたが、この音色から変え方が分からず、しょうがないからこれで鳴らしたらサイコーだったので、そのままOKになった音色だ。
なんて読むんだろう?「コイオチルT?」と不思議だったが、まあ気にせずにそのまま忘れて、キーボードもまた納戸の奥深くにしまい込まれ、長い眠りについた。
が、めでたくジャケ画像になったので、持ち主のユキコに「そう言えば、古いキーボード借りたんだが、音の変え方分からんくて、この音色使ったが、何て読むんだろうね?」と聞くと、彼女は大笑いして「これ、学生時代にaikoのコピバンしてた時に、aikoの「恋堕ちる時」という曲で使った音色だよ。」と言われた。

ガーン。aiko。
女子高生のaikoコピバンライブから20年の時を経て、レテパのシングルを奏でるとは、なかなか渋いね。

というわけで、レテパシングル緊急配信。
その名も「才能がなかったんだろ」
明日だけど本日24時から多分聞けるんしゃないかなあ?
魂の叫びを聞いてみて下さい。

本日3rd「永遠に、たまに」サブスク配信スタートしたのですが、すみません、一度配信停止にする事にしました。
以下理由です。本当にごめんなさい!

ボーカルを再録した為に、マスタリング(すごく簡単に書くと音量調整)はもう一度やらなきゃいけないので、やってもらった。

で、その際に、CDとは違いサブスクに適した音量があるので、そうしましょうと提案を受け、了承した。

が、俺が説明をよく理解しておらず、今日配信された音を聞いて、絶望した。

で、先程エンジニアの方と話し合い、原因が判明した。

エンジニアの方は、Spotifyだと「オーディオノーマライズ」AppleMusicだと「音量を自動調整」の機能を「ON」にしている人が聞くと、カッコよく聞こえる音量にしてくれたのですが、俺はゴリゴリの「反オーディオノーマライズ派」なので、「OFF」でカッコよい音量にしてもらいたく、そこが食い違っていました。

マスタリングエンジニアはボーカル旧録の3rd同様、中村宗一郎さんですが、今日俺が配信された3rdを聞き即絶望して、即配信停止を配信業者にリクエストしたと聞いて、笑っておられたが、最終的に「こんなこと言われたのは初めてですが、そこがこだわりならしょうがない。急いでマスタリングし直しましょう。」と言ってくれて、今、お願いしているところです。

「反オーディオノーマライズ派」ではなく「ON」にしている人には関係の無いことなのですが、すみません一度配信停止にさせて頂きます。

配信業者の手続きの関係上、すぐには消えないんですが、遅くとも1週間以内に今の「永遠に、たまに」が消えます。

新しい「反オーディオノーマライズ派」の「永遠に、たまに」は8月中旬には配信できるかと。
ごめんなさい、またハッキリ日にちが分かったらお知らせします。

昨日さんざん長々と文章書いたのに、すみませんでした!

PS.せっかくなので、「反オーディオノーマライズ派」の仲間入りしたい人の為にやり方を書いておきます。

「AppleMusic」の場合
設定→ミュージック→音量を自動調整→オフ

「Spotify」の場合
HOME→右上ギザギザマーク→再生→オーディオノーマライズ→オフ

すげえ簡単に書くと、オフの方が作者が作った本来の音で聞けます。
が、最近はオンで聞く人に合わせて作る人も多いみたい。
もともとそうやって作った音はオンの方が本来の音に近いみたい。

もっと簡単に書くと、近代のサブスク野郎はオンで。
レテパとか好きな人はオフにしときゃ間違いないよ。

※7/30追記
本日配信しました3rd「永遠に、たまに」一度配信停止にします!
理由はこちらにて!
ごめんなさい!

(以下、昨日書いた文章そのまま)

2017年に発売された3rd「永遠に、たまに」が明日配信されます。

(配信されるとここで聞けます)

ここで、お知らせしなくてはいけない事があります。
「永遠に、たまに」全10曲のボーカルを先日全て歌い直しました。

そして、4th「ブルースマン」も同様に歌い直しました。

以下はその理由、説明、です。
アル中の知識が無い方には、色々誤解されてしまうかもしれませんが、どうしても触れなくては説明できないので、色々書いています。
説明無しにアルバムを聞きたい人は、ぜひそうして下さい。
一言で言えば、

「今の自分でボーカルを録り直してみたくなった。で、録って聞き比べたが、今の方を聞いてほしいと思った。」

以上なので。

※ボーカル以外はいじっていません。ミックスもそのままです。

※旧テイクのCDは、そのまま販売します。
今まだ準備中ですが、今後買われる方には、新テイクのCDもお付けします。
好きな方を残して下さい。
もうCDを持っている方で、新テイク盤が欲しい方はご連絡下さい。
すみません。今、5th.6th制作関連でドタバタなので、新テイクCD、準備が出来たらまたお知らせしますね。

以下、読みたい方だけどうぞ。

2nd「愛してるよ」のレコ発ツアー後、キーボードのユキコが脱退し、レテパは4人になりました。
「4人もブルーハーツみたいでいいね。ハイロウズからブルーハーツになったね。」なんて、最初は明るく再スタートしましたが、2016年頃から、俺は寝ている時以外の連続飲酒状態が、残念ながら耐性がついてしまい続いていて、色々と上手くいかなくなり始めて、2017年の6月、三鷹のアルコール病院に連れて行かれました。

病院では、依存度的にも、肝臓の数値的にも、脳のレントゲン的にも、即入院と言われました。
が、入院だと3ヶ月間拘束で、もちろんライブは出来ません。(その時、5本のライブが入っていました。)
ライブのキャンセルだけは絶対にありえないので、通院での治療にしてもらいました。
医者は「通院じゃ絶対にうまくいかない。」と、言いました。
最初は様々な離脱症状に苦しみましたが、周りの協力と、吾妻ひでおさんの「失踪日記」「アル中病棟」を読んでいたおかげもあり「断酒」する事は出来ました。
通院、投薬、自助グループ参加、と断酒3本柱と言われている治療を行い「飲まない」事は続けられたのですが、問題がありました。

ライブが、全くうまくいかなくなりました。

ライブ会場に着いて他のバンドのリハを見ると「こんなバンドを良いと思ってるんなら、主宰者、俺らの事、全く理解してないじゃん。」から始まり、ステージからお客さんの顔を見ても「お前さっき、他のくだらないバンドで拍手してたじゃん。お前なんかに分かるわけないよ。」とライブ中も、そんな事ばかり考えてしまい、歌う気が起こらず。

もちろん、17才の歌い始めた頃からそういう気持ちではいましたし、そういう気持ちを否定する気は全くないんですが、こういう事を思った後、続けてすぐに「もうやめよう。じゃあ、死のう。」と何を見ても思うようになり、ライブ中もずっとそうなってしまいました。

医者に相談もしましたが「断酒の鬱だね。抗鬱剤を出しましょう。思い詰めると良くないから音楽は今は止めたほうが良い。」とそんな感じですし、自助グループに行っても、答えはありませんでした。(いや、違うか。答えはハッキリあって「バンドをやめる」の一択だった。)

そんな中「永遠に、たまに」のレコーディングが行われました。
いつも、大体ファーストテイクでOKなのですが、この時は初日の1テイク目がうまくいかず、次の日にもう1回歌いました。
2日目のその時は、奇跡的に落ち込まずに、昔のように歌えた気がしたのですが、全てに余裕がなく、コンデンサーマイクの本来掴んではいけない部分を掴んで歌ったりしてしまい、ボーカルがとてもこもった特殊な音になってしまいました。
が、その時は多分俺の異様な気迫にメンバーもエンジニアも押され、今のテイクでいこう、と言ってくれて、自分もOKを出しました。

ボーカルがこんなじゃ、メンバーみんなも辛かったと思いますし、実際、はなえもん、アディーはこのアルバムを最後に抜けました。
でも、3人は辛さを音に昇華して、素晴らしい録音をしてくれました。
が、本当にギリギリの素晴らしい音なだけに、ボーカルがこういうこもった音だと、みんなの演奏までが素直に聞こえてこず、ずっと気掛かりな録音になりました。
(ボーカル、今、聞くと、やはり音質だけでは無く、全体的に異様な感じがします。)

が、これもバンドの本当の記録だから、これで良いんだ。
と、当時は判断し、発売しました。

その後、10月に秋田の「ハイコーフェス」という、毎年呼ばれるイベントがあり、ライブを差別するわけではありませんが、4本最悪のライブが続いて、絶対にこのイベントだけは、こんな気持では出られない、と思いました。
なので「以前の状態に戻そう」と決めて、ハイコーまでの2週間、本当に飲みたくありませんでしたが、無理やり酒を飲み続け、以前の状態に戻そうとしました。
耐性はもう抜けているので、最初の一杯で、顔は真っ赤になり、フラフラしました。
もともとは酒に弱く、ビール2本程度で酔っ払うようなものでしたが「耐性」がつくと、「酔っている状態が正常」と脳が判断するので、どんなに飲んでも顔も赤くなりませんし、飲んでいないと手が震え箸も持てません。
酒が強い弱いは関係無く「耐性」がついてしまい連続飲酒が「出来るように」なってしまうかどうかは、基本的には運なんです。

大急ぎで「耐性」を取り戻し以前のようなライブをしよう、と、2週間起きている間はずっと、飲んでは吐き、飲んでは吐き、を繰り返し、大急ぎで「以前の状態」を取り戻そうとしました。
そして何とか間に合い、おかげでハイコーフェスでは、以前のようなライブが出来ました。

で、それからまた、すぐに連続飲酒になり、2018年はさらに酷い状態になっていきました。
その頃は「6枚のアルバムだけは死んでも残す」とだけ思いながら生きていました。
4th「ブルースマン」はボロボロの状態で、もう脳ミソは一切使えておらず、心のみで生きている状態で、録音しました。
「7月12日、13日」「夜明け前」「MOON PALACE」「アズミ」と、その歌を歌うというより、ただただ感情が溢れるだけ、感情を溢れさせるためだけの道具、として歌う事しか出来ず、歌いながらひどく泣いてしまっています。
もちろん歌いながら泣くことは全く悪くありません。
が、その歌により泣いているのではなく、その時もう辛くて死にたくて限界なので、泣いていたんだと思います。
(当時の自分はそれを強く否定するだろう。だから、否定する人はぜひ否定して、旧録を気に入ってもらっても、全く問題はありません。)

レコーディングしてくれた方は、そのままミックスをしてくれる予定でしたが、俺の状態に嫌気がさし降りてしまいました。
飯田裕はよくここまでがんばってくれたと思います。
3rd終了後に抜けてもおかしくないようなバンド状態だったのに、ここまで続けてくれました。
彼は自分のベースのパートを弾き終わると、去っていきました。

そして、新たにミックスしてくれる人を捜さなくては、という事になりましたが、心身共に限界で何も出来ず「このままでは、6枚どころか4枚目すら完成までたどり着かない」と気付き、認め、また2019年の2月から断酒を始めました。
「ただ飲まないだけでは、俺の断酒は始まらない。ちゃんと歌えないとダメなんだ」と、もう分かっていたので、以前の知識だけではなく、新しく色々試し、勉強して、違うやり方でやってみました。

ライブをやって、またうまくいかなかったら、怖いので、ライブは入れませんでした。(まあ、ほとんどオファーもありませんでしたが)
が、1年後の2020年2月21日にのっぺら(飯田裕が在籍している)が企画に呼んでくれて「今ならできるかな」と思えたので、歌いました。
今までで一番、歌を歌えている気がしました。
ここからやっと始まった気がしました。
見に来てくれたアディーも、本当によかった、と言ってくれました。

この日のライブで「歌を歌う」という感じを体験した以上「歌」を歌うのではなく「その時の感情を出す道具」として扱っていた3rd,4thの事が気になり出しました。

そして、4月に大好きだったブルースマンの友人が亡くなり、それをきっかけに色々思うところがあり、ずっと嫌っていたサブスクでの配信をやる事にしました。
6thまで無事完成したら、全60曲から、お客さんに10曲選んで貰い、ベストのレコードを作りたいな。というのが新しい夢になりました。
が、今作っている5th、6th、そして、1st、2ndと比べ、後悔の残る3rd、4thからは1曲も選んでもらえないのでは無いか?いい歌ばかりなのに、自分のせいで、歌がかわいそうだ。と思うようになりました。

なので、録音時のメンバーに了承を得て(はなえもんだけは3rd制作の途中で「後は好きにしてもらって構わない」と言って抜けたので、報告していませんが)「歌うだけ歌ってみよう。そして聞き比べて、残したい方を残そう。」と決めました。

で、再録の方を選びました。

旧録の方が好きな人もいると思います。
その時の記録が正解、という考えは、むしろ俺自身が昔から強く思っていたものでした。
が、やはり、アル中を病気(異常な状態)と認め、そして何より、自分で聞いていて、ただただ悲しく辛いアルバムを残すより、自分でも聞けるアルバムを残したい。と思いました。

旧録を聞くと、録音当時の事を思い出します。

再録を聞くと、その歌自体の作曲した頃の事を思い出します。

旧録の「深海」を聞くと、2017年のレコーディングの時の事が。

再録の「深海」を聞くと、2015年、真冬の三笠市立博物館の中から見た、雪に反射してとても明るかった夕暮れを思い出します。

本来、こういう説明は嫌いなんですが、今回は必要だと思い書きました。
酒の事も今まで中途半端に簡単に書いたりしていましたが、これが全てなので(まあ、グロいことは書いていないが)今後は書かないようにします。

そして、あの滅茶苦茶だった時期から続けてくれている、高野京介、ありがとう。
3rdレコ発ワンマン直前に、はなえもんは急遽抜けてしまい、アディーもいーちゃんも途方に暮れて3人は中野サンプラザの前に座っていた。
が、俺は割と途方に暮れておらず「高野君ならやってくれるんじゃない?」と2人に言った。
2人は「いやー、難しいんじゃない?」と言った。
俺は彼とはあまり面識は無かったが、昔彼が在籍していた「うみのて」と対バンした時に、彼はレテパに負けたと思ったらしく「すごくよかった。悔しい。」と言っていたし、その言い方が妙に印象に残っていたので、勝手にやってくれると思い込んでいた。
で、連絡してみたらやってくれた。で、そのまま居ついてくれた。
はなえがいきなり消えて、アディーもいーちゃんもさすがに絶望して意気消沈だったが、高野君とスタジオに入り、音を合わせた瞬間に2人の顔が活き活きと蘇るのを歌いながら見て「ああ、生粋のミュージシャンなんだな。彼らに俺はミュージシャン以外の部分で苦労をかけすぎたな。本来の姿でいさせてやれなくて悪かったな。」と思ったものでした。

関口萌は上記の3rdレコ発ワンマン後に、役目を終えてアディーが抜けたので、さてドラマーどうしようと考えて、友人の佐古勇気に相談してみたら「関口萌君がいいんじゃない?」と教えてくれて、会ってみた。
そして、俺が「6枚のアルバムを完成させるまでは、何がなんでも終われない。」と言った時に、萌ちゃんの心が動いた気がした。(俺が勝手に思い混んでるだけかも)
作品を残したい、という事がどれだけ大切な事か、分かっている人の様な気がした。
そしてそれは当たっていて、4th以降のレテパのアルバムの一番大事な部分をはじめちゃんが守ってくれている気がします。
ありがとう、はじめちゃん。

タカユキカトーは、4thのマスタリングをお願いした時に、久し振りの再会。(2014年の1年間レテパギター担当でした)
マスタリング時、俺の感覚を言わなくても分かってくれている様子を見て「過去に一緒に過ごし、感覚を分かってもらえている、というのは素晴らしい貴重な事なんだな。」と感動しました。
飯田裕が抜けて、ベーシストを捜していた時期で、断酒を始めたばかりの不安な頃でした。
その頃は、もうライブをする事は諦めていて(ライブが上手くいかず飲みだしたら終わりなので)あと2枚のアルバムを完成させる事だけを目的に生きていました。
「タカユキ君、ベーシストじゃないけどベース沢山持ってたし、多分弾けるんじゃないかな?そして、録音エンジニアも兼任してもらったら、ラスト2枚は傑作になるのでは?」ともくろみ、オファー、彼も「6枚のアルバムを完成させるまでは、何がなんでも終われない。」という俺の言葉に、動いてくれた気がします。
そして、沢山持ってたけど弾けるのかなー?の心配をよそに、タカユキ君は素敵なベース弾きでした。
ありがとう。ほんとあとちょっと、がんばろう。

そして2nd終了後に脱退。4th制作から帰って来てくれた、ハダユキコ。
4thに「ヘルメットヘアー」という歌があります。
彼女の名誉の為に書きますが、酒を止めてまともになったから彼女は帰ってきた訳ではなくて、この歌も諦めのベロンベロンで作った歌ですし、2018年4月1日に俺達は結婚しましたが、もし家に隠しカメラでも付けられていたら、壮絶過ぎて110番!される位の生活の中、それでも別れ切れずに(多分、負けず嫌いなんだな。極度の。)結婚してしまった、という感じですので、やはり公私共に一番大変だったのは彼女でしょう。ありがとう。
結局、俺が6枚、彼女が5枚、俺以外だと一番長くレテパシーズです。
彼女のピアノを上手いと言う人もいますが、彼女は上手いというより、下手だがパンク、なところが素敵だと思っています。
ライブになると、パンクスになります。見た事あるでしょう?あなたも。

というわけで、3rdも4thも再録してより素晴らしくなったぞ。
5th,6thすげーハードル高くなったぞ。
がんばろーね。もう少し。

ps.写真は「深海」の三笠市立博物館の駐車場にて。
これでやっとこの時の光を思い出せるようになりました。

ps.昨日は6th録音前の最後の練習でした。
みんな自信満々でした。俺も自信満々です。
こうご期待。

無名だけど、いいバンド。
心の奥底では、それでもよい、とも思っているんだが、それにしてもこれでは無名過ぎる。

普段、一人でお参りなんてしないが、家族との付き合い等で、どうしても神社でお参りしなくてはいけない時は、色々な存続が危ぶまれてきた2017年以降は「完成後、即、即死しても構いませんので、6枚のアルバムだけはどうか、無事に。」と拝んでいた。

5/31に1st「僕を殺せるのは僕だけさ」を配信したあたりから、色々な不安と期待(37才になったが、まだ人生に慣れない。なんでも大騒ぎしてしまう)でおかしくなりそうでしたが「6thアルバムを発表するまでは、癇癪を起こさずに、何も破壊せず生きよう。絶対に。」と、配信した曲の再生回数の少なさを目にする度に、全て捨てて家出したい気持ちを抑え、こらえろこらえろ、と自分に言い聞かせてきましたが、一昨日、少し癇癪?を起こしてしまった。

以下、癇癪写真日記です。

6/30に2nd「愛してるよ」を配信しましたが、ひどい再生回数だった。
才能がなかったんだろう。

ここ数年ほとんど歌が出来ない(新曲至上主義者を軽蔑しているので、むしろ良い事だとすら思っている)が、今回の心の乱れ様に、さすがに心の方でもこのままではマズいと感じたのか、新しい歌が出来てしまった。
(「出来てしまった」というのは本当に実感で、レテパでアルバムを残す事の大変さが身に沁みているので、これ以上新曲が入る余裕は無いよ、という思いが根底にあるのだと思う。あまり理解されないかもしれないが。)

6th「アコースティック」の録音はもうすぐだし(来週)この歌のアレンジをする余裕はバンドには無い。
が、発表するなら、今じゃなきゃ意味のない内容だし、一人弾き語りではどうしても再現できない箇所があり、どうしようかと悩む。
で、思い切って人生初めての「一人宅録多重録音」にチャレンジしてみる事にした。
義理の弟に貰ったアイフォンで「多重録音DubDub」というアプリをダウンロードしてみる。
「アイフォンのボイスメモで録音したものをただ重ねられる」という原始的で初心者にはうってつけのシンプルさ。
それなら俺でも出来る。
(「ガレージバンド」というのも見てみたが、複雑そうだったし「ギターとアンプ」の絵が嘘つきっぽかったのでやめた。)

まず、いつも通り、ガットギターで弾き語り。
そして、ユキコのキーボードを借りてピアノの音を入れてみるか、と思ったが、ユキコのキーボードは高野君が別バンドのレコーディングで使いたいと言うので、貸してしまっていて無かった。
が、今すぐ録りたかったので、引っ越しの時に納戸にぶち込まれていた、キーボードみたいなのを探す。

開けてびっくり。
これは俺が大ファンのツナオジェットボーイが使用していたやつと同じやつだ。
奇跡だ。彼は天使が舞い降りるような爆音をこのキーボードで出していた。
良い予感がする。(ちなみに鍵盤を弾くのは小学校5年生以来だ、でもなぜかこの日は弾ける気がした)
早速音を出してみる。

が、この表示の音から音が変わらない。
持ち主のユキコはまだまだ帰らない。(俺は専業主夫だ。ああそうだよ。クズだよ。知ってるよ。)
が、今すぐ録りたい。ので、そのままの音でとりあえず録音してみる。
何も考えず、先程の弾き語り音源に合わせて弾いてみた。
天才なんじゃないか?(多分皆さん初めての宅録ではそう思うのでしょう)と思えるような演奏ができた。
一発OK!
この表示なんて読むんだろう?
「コイオチルT」?恋に落ちる、どんなTシャツだ?乳首でも透けてんのか?なんかいいね。

で、メンバーに聞かせてみたら、みんな褒めてくれたので、シングルとして配信することにした。
この歌は「僕のレテパシーズ」名義で出すのが意義があると思いましたので、俺一人の録音ですが、レテパ名義です。
高野君は「素晴らしいけど、レテパ名義だと、今のレテパの感じがこういう感じだと勘違いされないかな?」と少し心配してた。
ので、書いておきますが、5thも6thもレテパ過ぎる程レテパなのでご安心を。

こういうのは今回だけ。最初で最後の一人多重録音だ。
今だに「一人で多重録音するなんて、パンクじゃねえんだよ。地獄に落ちるぞ。」と、理由なき反抗期ですので。

すぐに聞いてほしいけど、配信は色々と手続きがあるので、8/6に配信されます。
まずは7/31の3rd「永遠に、たまに」をお楽しみに。

そして、この「永遠に、たまに」に関して、報告しなくてはいけない事があります。
それはまた次回。

少しご無沙汰でしたが、色々頑張っています。
何を頑張っていたのかは、また今度。

皆さん、2nd「愛してるよ」聞いてくれましたか?
早いもので、来週は3rd「永遠に、たまに」が配信されます。
あまりご無沙汰だと、心配してくれる心配性の人もいるので、今日は「愛してるよ」解説第2弾。

各曲のプチ解説です。

1.「見知らぬ青年との会話」
下北沢Queにて、見知らぬ青年に話しかけられた時の会話そのまま。
当時、ブルーハーツのファーストのような衝動的な恋をしていた。
3rd収録「夜に名前を」同様、予定調和なサビやAメロBメロ、ましてやCメロなんて気持ち悪い、という反骨精神の固まりのような曲です。
最近、高野君が「今時のサブスク全盛の聴衆はギターソロや前奏を飛ばして聞くらしい。」と教えてくれたが、不必要でつまらない編曲が多すぎたから、そうなるんだと思う。
レテパは必要がなければ、前奏もソロも作らなかったので短い曲が多い。
短くて成立するならば短い方が良い。削れるだけ削る。
時代が追いついてきた形です。遅えよ。
(2012年作詞作曲)

2.「空知」
2才〜13才まで月形町。
14才〜18才まで岩見沢市で育った。
両方、南空知にある町。
今でも思い出すと一瞬で、ひび割れたような懐かしさでいっぱいになる。
高校終了後、札幌で一人暮らしを始めたが、都会が嫌で札幌から空知を懐かしんでいる歌。
冒頭の「123223」は高校生の時に見た、あがた森魚がタンゴを歌う時に言っていたのを真似した。
真似したくせに対抗意識でもあるのか、ライブではよく上から目線で「本当のタンゴってのを教えてやるよ」と言ってから歌い出している。
「不安を懐かしくした青空だからー」のあとの、タララタララタララタララー、というギターとか2002年当時から弾き継がれている。
他の歌でも過去メンバーのメロディーが残されている歌は多い。
(2002年作詞作曲)

3.「ハローグッバイファックユー」
あるメンバーが辞めてしまった時に出来た歌。
レテパにしては長い歌なので、バンドアレンジがビシッと決まるまで何年もかかった。
2012年からレパートリーだが、決定版のアレンジになったのは2016年飯田裕が加入してからで、彼の功績が大きい。
何を隠そう、あるメンバーが辞める事件の原因を作ったのは、飯田裕(当時俺は知り合いでは無かったが)だったみたいなので、自分で全てを解決した形になる。
なかなか出来ないことだ。すごい。
(2012年作詞作曲)

4.「夕焼けより」
京王稲田堤に住んでいた頃の歌。
このアパートが一番歌が出来た。
同年の2007年作は「君しかいない」「海へ行こうよ」「夜明け前」「バスが来るまで」等。
最近ユーチューバーの手伝いをしている友人が「ユーチューバーは視聴者に映像を止める機会を与えない為にはどうすれば良いか、を第一に考えて映像を作ってるんですよ。」と言っていた。
この歌の「僕のマンガの感動のラストシーン 君は読むのをやめて電車の外の夕焼けを見る」はその真逆だ。
13年前にすでに批判してやった。ざまあみろ。
(2007年作詞作曲)

5.「北」
新宿ジャムの前の通りに不機嫌に座っていたら出来た歌。
2004年に札幌から東京に移ったが、どこのライブハウスにも馴染めず、イライラしていた。
でもそれは札幌でも同じで、高校生の頃、161倉庫のKCさんに拾われなかったら、多分グレていただろう。
札幌では161倉庫、MOON PALACE、LOG、とかは好きだった。
要するに、店主が絶賛してくれた店が好きなわけだ。ただそれだけの事だ。
北海道へのホームシックの歌。
編曲時、俺は知らなかったが、これは所謂「カノン物」らしく「カノン物を作ると、一発屋で終わるというジンクスがあるが、大丈夫か?」とメンバーの誰かに冗談半分に聞かれた。
当時は「一発屋は嫌だな。」と答えたが、一発どころか0発だ。
いい加減グレそう。
(2005年作詞作曲)

6.「東区が恋しくて」
当時北区に住んでいたが、東区の女が転がり込んで来て同棲を始めた。
出会って1週間で同棲が始まり、2ヶ月後に結婚した。8年後に離婚した。
(2003年作詞作曲)

7.「再会」
札幌のある友人への歌。
久し振りに見た彼のライブが良くなかったので出来た。
ギターを始めたばかりの人は、この歌から始めれば良い。
コードが2つで簡単だから。
GとGの人差し指と中指を一つずらしたコードのみで出来ている。
その後「一口目のビール」を夜に溶かさなくなったのは俺の方だった。
歌の彼は昨年、不吉な風の噂を聞いたらしく、俺の様子を心配して会いに来てくれた。
俺の元気な様子を見て、嬉しそうにしてた。
(2009年作詞作曲)

8.「札幌ナンバーの最後」
歌詞に出てくる「青い看板」は161倉庫の前の旧石狩街道を海方面に少し行った所にある「石狩9Km」の青看板の事。
「あいつが死んだ時」とあるので「あいつ」が「キヨシロー」と勘違いしている人に何人か出会ったが、この頃はキヨシローはピンピンしてた。
この年?のライジングサンに行ったら(今は分からんが、当時は金払わないでもぐり込めた)キヨシローが出てたので見た。
おそらくキヨシローの悪ふざけで、本人登場前に、ローディー?が前座でダラダラと歌い、その後キヨシローは矢野顕子を連れて登場し、イチャイチャだらしないライブをした。
持ち時間もオーバーしてた。
俺の後ろでは若者が「ダセーな、じじい引っ込めよ。」とヤジを飛ばした。
それを聞いたロックなおばさんが「あんたねー、キヨシローが今まで何をやって来たか知ってるの?タイマーズ!RC!聞いた事あんの!?」と掴みかかっていた。
俺は「なんだかなー。」と酔っ払っていたが、そんな苛立つ大観衆の前に、次の出演者が登場した。
若者は「じじいが続くなー。」とまた毒づいた。
出てきた出演者のじじいは一言も喋らずにギターをジャラーン、そして「都会では〜」の第一声で会場にいた数万人の鳥肌の音を俺は確かに聞いた。
キヨシローが作った最悪の雰囲気をたった5文字で一掃したグラサンじいさん。凄かった。
(死んだ人の悪口を言うな、とよく言うが、これは悪口ではない。キヨシローも含め最高の美談だ。)
この歌もこの決定版のアレンジになるまでに14年か?かなり時間がかかった。
が最終的に素晴らしくなったので良かった。
ドラムのアディーはこの間奏の「ダララララー」というドラムが苦手だったらしく、始め珍しく手こずっていた。
が、次の週の練習では完璧になっていた。良いドラマーだった。
ちなみに2番の「ペシャンコ」の声はユキコ。
ギターのはなえもんはよく股を開いてギターを弾くが、毎回この歌の時が一番開いていた。
(2002年作詞作曲)

9.「夏のしっぽ」
得意の1番〜5番まであるパターン。
6th「アコースティック」収録の「月形」「旅に出るなら」もそう。
唱歌みたいで、こういうのが一番好き。
高校生の頃に付き合っていた、玉ねぎ農家の娘の林さんとお別れした時の歌。
高校3年生だったので、林さんの制服のスカートのおしりが年季が入ってテカテカしていて、その揺れるお尻を見ていたら、別れるのが惜しくなって来た。
そういう歌です。
(2001年作詞作曲)

10.「ロックンロール」
高円寺北口のアコムで金を借りて、隣のローソンで第三のビールではなく本物のビールを買い、アコムのビルの1Fの「くいしんぼ」の入り口から流れる有線を聞いていたら出来た。
が、実は珍しく曲だけは先にあったもの。
2015年頃、野に咲く野生の花だったレテパを、何とか花屋の花に育てようとしていたレコード会社の人が、あまりにも金の無い俺を見て「今、関わっているアイドルの曲を作ってみないか?」と言ってくれた。
もちろん即答で「ガラじゃないし、第一作ろうと思って歌が出来たことが一度も無いから無理無理。」と断ったが、次の日そのアイドルグループの名前から始まるそのグループのテーマ曲みたいなのが、勝手に頭の中で出来てしまった。(虹の〜という名前だった。)
が、その商売人とは喧嘩別れしたので、その歌も放置していたが、有線のロックンロールを聞いていたら、その歌のメロディーに新しい歌詞がついて、こんな歌になった。
そんな事は忘れていたが、この前そのアイドルグループがテレビに出てて、思い出した。
このアルバムでは「ロックンロール」だけが新曲で、旧レテパでも演奏した事の無い歌だったので、過去のアレンジのイメージに流されず、みんな伸び伸びとアレンジしていた気がする。
過去のアレンジの手垢の付いた曲を、またアレンジするのは、やはり真っさらの状態の新曲をアレンジするよりも難航する場合が多い。
レテパの歌は8割は再アレンジだったから、みんなに苦労をかけた。
が、最後にはいつも素晴らしいアレンジになった。
今も昔も、誰か一人が中心になってアレンジするというよりは、5人全員でアレンジする、というバンドだった。
(2015年作詞作曲)

以上。気まぐれ曲解説簡易版でした。
では7/31「永遠に、たまに」お楽しみに。

PS.また写真が出てきたので2016年「愛してるよ」関連の写真をどーぞ。(多分レコ発ツアーの写真です。)