7月31日(金) 3rd「永遠に、たまに」一度配信停止します

本日3rd「永遠に、たまに」サブスク配信スタートしたのですが、すみません、一度配信停止にする事にしました。
以下理由です。本当にごめんなさい!

ボーカルを再録した為に、マスタリング(すごく簡単に書くと音量調整)はもう一度やらなきゃいけないので、やってもらった。

で、その際に、CDとは違いサブスクに適した音量があるので、そうしましょうと提案を受け、了承した。

が、俺が説明をよく理解しておらず、今日配信された音を聞いて、絶望した。

で、先程エンジニアの方と話し合い、原因が判明した。

エンジニアの方は、Spotifyだと「オーディオノーマライズ」AppleMusicだと「音量を自動調整」の機能を「ON」にしている人が聞くと、カッコよく聞こえる音量にしてくれたのですが、俺はゴリゴリの「反オーディオノーマライズ派」なので、「OFF」でカッコよい音量にしてもらいたく、そこが食い違っていました。

マスタリングエンジニアはボーカル旧録の3rd同様、中村宗一郎さんですが、今日俺が配信された3rdを聞き即絶望して、即配信停止を配信業者にリクエストしたと聞いて、笑っておられたが、最終的に「こんなこと言われたのは初めてですが、そこがこだわりならしょうがない。急いでマスタリングし直しましょう。」と言ってくれて、今、お願いしているところです。

「反オーディオノーマライズ派」ではなく「ON」にしている人には関係の無いことなのですが、すみません一度配信停止にさせて頂きます。

配信業者の手続きの関係上、すぐには消えないんですが、遅くとも1週間以内に今の「永遠に、たまに」が消えます。

新しい「反オーディオノーマライズ派」の「永遠に、たまに」は8月中旬には配信できるかと。
ごめんなさい、またハッキリ日にちが分かったらお知らせします。

昨日さんざん長々と文章書いたのに、すみませんでした!

PS.せっかくなので、「反オーディオノーマライズ派」の仲間入りしたい人の為にやり方を書いておきます。

「AppleMusic」の場合
設定→ミュージック→音量を自動調整→オフ

「Spotify」の場合
HOME→右上ギザギザマーク→再生→オーディオノーマライズ→オフ

すげえ簡単に書くと、オフの方が作者が作った本来の音で聞けます。
が、最近はオンで聞く人に合わせて作る人も多いみたい。
もともとそうやって作った音はオンの方が本来の音に近いみたい。

もっと簡単に書くと、近代のサブスク野郎はオンで。
レテパとか好きな人はオフにしときゃ間違いないよ。

7月30日(木) 3rd「永遠に、たまに」サブスク解禁、ボーカル再録について

※7/30追記
本日配信しました3rd「永遠に、たまに」一度配信停止にします!
理由はこちらにて!
ごめんなさい!

(以下、昨日書いた文章そのまま)

2017年に発売された3rd「永遠に、たまに」が明日配信されます。

(配信されるとここで聞けます)

ここで、お知らせしなくてはいけない事があります。
「永遠に、たまに」全10曲のボーカルを先日全て歌い直しました。

そして、4th「ブルースマン」も同様に歌い直しました。

以下はその理由、説明、です。
アル中の知識が無い方には、色々誤解されてしまうかもしれませんが、どうしても触れなくては説明できないので、色々書いています。
説明無しにアルバムを聞きたい人は、ぜひそうして下さい。
一言で言えば、

「今の自分でボーカルを録り直してみたくなった。で、録って聞き比べたが、今の方を聞いてほしいと思った。」

以上なので。

※ボーカル以外はいじっていません。ミックスもそのままです。

※旧テイクのCDは、そのまま販売します。
今まだ準備中ですが、今後買われる方には、新テイクのCDもお付けします。
好きな方を残して下さい。
もうCDを持っている方で、新テイク盤が欲しい方はご連絡下さい。
すみません。今、5th.6th制作関連でドタバタなので、新テイクCD、準備が出来たらまたお知らせしますね。

以下、読みたい方だけどうぞ。

2nd「愛してるよ」のレコ発ツアー後、キーボードのユキコが脱退し、レテパは4人になりました。
「4人もブルーハーツみたいでいいね。ハイロウズからブルーハーツになったね。」なんて、最初は明るく再スタートしましたが、2016年頃から、俺は寝ている時以外の連続飲酒状態が、残念ながら耐性がついてしまい続いていて、色々と上手くいかなくなり始めて、2017年の6月、三鷹のアルコール病院に連れて行かれました。

病院では、依存度的にも、肝臓の数値的にも、脳のレントゲン的にも、即入院と言われました。
が、入院だと3ヶ月間拘束で、もちろんライブは出来ません。(その時、5本のライブが入っていました。)
ライブのキャンセルだけは絶対にありえないので、通院での治療にしてもらいました。
医者は「通院じゃ絶対にうまくいかない。」と、言いました。
最初は様々な離脱症状に苦しみましたが、周りの協力と、吾妻ひでおさんの「失踪日記」「アル中病棟」を読んでいたおかげもあり「断酒」する事は出来ました。
通院、投薬、自助グループ参加、と断酒3本柱と言われている治療を行い「飲まない」事は続けられたのですが、問題がありました。

ライブが、全くうまくいかなくなりました。

ライブ会場に着いて他のバンドのリハを見ると「こんなバンドを良いと思ってるんなら、主宰者、俺らの事、全く理解してないじゃん。」から始まり、ステージからお客さんの顔を見ても「お前さっき、他のくだらないバンドで拍手してたじゃん。お前なんかに分かるわけないよ。」とライブ中も、そんな事ばかり考えてしまい、歌う気が起こらず。

もちろん、17才の歌い始めた頃からそういう気持ちではいましたし、そういう気持ちを否定する気は全くないんですが、こういう事を思った後、続けてすぐに「もうやめよう。じゃあ、死のう。」と何を見ても思うようになり、ライブ中もずっとそうなってしまいました。

医者に相談もしましたが「断酒の鬱だね。抗鬱剤を出しましょう。思い詰めると良くないから音楽は今は止めたほうが良い。」とそんな感じですし、自助グループに行っても、答えはありませんでした。(いや、違うか。答えはハッキリあって「バンドをやめる」の一択だった。)

そんな中「永遠に、たまに」のレコーディングが行われました。
いつも、大体ファーストテイクでOKなのですが、この時は初日の1テイク目がうまくいかず、次の日にもう1回歌いました。
2日目のその時は、奇跡的に落ち込まずに、昔のように歌えた気がしたのですが、全てに余裕がなく、コンデンサーマイクの本来掴んではいけない部分を掴んで歌ったりしてしまい、ボーカルがとてもこもった特殊な音になってしまいました。
が、その時は多分俺の異様な気迫にメンバーもエンジニアも押され、今のテイクでいこう、と言ってくれて、自分もOKを出しました。

ボーカルがこんなじゃ、メンバーみんなも辛かったと思いますし、実際、はなえもん、アディーはこのアルバムを最後に抜けました。
でも、3人は辛さを音に昇華して、素晴らしい録音をしてくれました。
が、本当にギリギリの素晴らしい音なだけに、ボーカルがこういうこもった音だと、みんなの演奏までが素直に聞こえてこず、ずっと気掛かりな録音になりました。
(ボーカル、今、聞くと、やはり音質だけでは無く、全体的に異様な感じがします。)

が、これもバンドの本当の記録だから、これで良いんだ。
と、当時は判断し、発売しました。

その後、10月に秋田の「ハイコーフェス」という、毎年呼ばれるイベントがあり、ライブを差別するわけではありませんが、4本最悪のライブが続いて、絶対にこのイベントだけは、こんな気持では出られない、と思いました。
なので「以前の状態に戻そう」と決めて、ハイコーまでの2週間、本当に飲みたくありませんでしたが、無理やり酒を飲み続け、以前の状態に戻そうとしました。
耐性はもう抜けているので、最初の一杯で、顔は真っ赤になり、フラフラしました。
もともとは酒に弱く、ビール2本程度で酔っ払うようなものでしたが「耐性」がつくと、「酔っている状態が正常」と脳が判断するので、どんなに飲んでも顔も赤くなりませんし、飲んでいないと手が震え箸も持てません。
酒が強い弱いは関係無く「耐性」がついてしまい連続飲酒が「出来るように」なってしまうかどうかは、基本的には運なんです。

大急ぎで「耐性」を取り戻し以前のようなライブをしよう、と、2週間起きている間はずっと、飲んでは吐き、飲んでは吐き、を繰り返し、大急ぎで「以前の状態」を取り戻そうとしました。
そして何とか間に合い、おかげでハイコーフェスでは、以前のようなライブが出来ました。

で、それからまた、すぐに連続飲酒になり、2018年はさらに酷い状態になっていきました。
その頃は「6枚のアルバムだけは死んでも残す」とだけ思いながら生きていました。
4th「ブルースマン」はボロボロの状態で、もう脳ミソは一切使えておらず、心のみで生きている状態で、録音しました。
「7月12日、13日」「夜明け前」「MOON PALACE」「アズミ」と、その歌を歌うというより、ただただ感情が溢れるだけ、感情を溢れさせるためだけの道具、として歌う事しか出来ず、歌いながらひどく泣いてしまっています。
もちろん歌いながら泣くことは全く悪くありません。
が、その歌により泣いているのではなく、その時もう辛くて死にたくて限界なので、泣いていたんだと思います。
(当時の自分はそれを強く否定するだろう。だから、否定する人はぜひ否定して、旧録を気に入ってもらっても、全く問題はありません。)

レコーディングしてくれた方は、そのままミックスをしてくれる予定でしたが、俺の状態に嫌気がさし降りてしまいました。
飯田裕はよくここまでがんばってくれたと思います。
3rd終了後に抜けてもおかしくないようなバンド状態だったのに、ここまで続けてくれました。
彼は自分のベースのパートを弾き終わると、去っていきました。

そして、新たにミックスしてくれる人を捜さなくては、という事になりましたが、心身共に限界で何も出来ず「このままでは、6枚どころか4枚目すら完成までたどり着かない」と気付き、認め、また2019年の2月から断酒を始めました。
「ただ飲まないだけでは、俺の断酒は始まらない。ちゃんと歌えないとダメなんだ」と、もう分かっていたので、以前の知識だけではなく、新しく色々試し、勉強して、違うやり方でやってみました。

ライブをやって、またうまくいかなかったら、怖いので、ライブは入れませんでした。(まあ、ほとんどオファーもありませんでしたが)
が、1年後の2020年2月21日にのっぺら(飯田裕が在籍している)が企画に呼んでくれて「今ならできるかな」と思えたので、歌いました。
今までで一番、歌を歌えている気がしました。
ここからやっと始まった気がしました。
見に来てくれたアディーも、本当によかった、と言ってくれました。

この日のライブで「歌を歌う」という感じを体験した以上「歌」を歌うのではなく「その時の感情を出す道具」として扱っていた3rd,4thの事が気になり出しました。

そして、4月に大好きだったブルースマンの友人が亡くなり、それをきっかけに色々思うところがあり、ずっと嫌っていたサブスクでの配信をやる事にしました。
6thまで無事完成したら、全60曲から、お客さんに10曲選んで貰い、ベストのレコードを作りたいな。というのが新しい夢になりました。
が、今作っている5th、6th、そして、1st、2ndと比べ、後悔の残る3rd、4thからは1曲も選んでもらえないのでは無いか?いい歌ばかりなのに、自分のせいで、歌がかわいそうだ。と思うようになりました。

なので、録音時のメンバーに了承を得て(はなえもんだけは3rd制作の途中で「後は好きにしてもらって構わない」と言って抜けたので、報告していませんが)「歌うだけ歌ってみよう。そして聞き比べて、残したい方を残そう。」と決めました。

で、再録の方を選びました。

旧録の方が好きな人もいると思います。
その時の記録が正解、という考えは、むしろ俺自身が昔から強く思っていたものでした。
が、やはり、アル中を病気(異常な状態)と認め、そして何より、自分で聞いていて、ただただ悲しく辛いアルバムを残すより、自分でも聞けるアルバムを残したい。と思いました。

旧録を聞くと、録音当時の事を思い出します。

再録を聞くと、その歌自体の作曲した頃の事を思い出します。

旧録の「深海」を聞くと、2017年のレコーディングの時の事が。

再録の「深海」を聞くと、2015年、真冬の三笠市立博物館の中から見た、雪に反射してとても明るかった夕暮れを思い出します。

本来、こういう説明は嫌いなんですが、今回は必要だと思い書きました。
酒の事も今まで中途半端に簡単に書いたりしていましたが、これが全てなので(まあ、グロいことは書いていないが)今後は書かないようにします。

そして、あの滅茶苦茶だった時期から続けてくれている、高野京介、ありがとう。
3rdレコ発ワンマン直前に、はなえもんは急遽抜けてしまい、アディーもいーちゃんも途方に暮れて3人は中野サンプラザの前に座っていた。
が、俺は割と途方に暮れておらず「高野君ならやってくれるんじゃない?」と2人に言った。
2人は「いやー、難しいんじゃない?」と言った。
俺は彼とはあまり面識は無かったが、昔彼が在籍していた「うみのて」と対バンした時に、彼はレテパに負けたと思ったらしく「すごくよかった。悔しい。」と言っていたし、その言い方が妙に印象に残っていたので、勝手にやってくれると思い込んでいた。
で、連絡してみたらやってくれた。で、そのまま居ついてくれた。
はなえがいきなり消えて、アディーもいーちゃんもさすがに絶望して意気消沈だったが、高野君とスタジオに入り、音を合わせた瞬間に2人の顔が活き活きと蘇るのを歌いながら見て「ああ、生粋のミュージシャンなんだな。彼らに俺はミュージシャン以外の部分で苦労をかけすぎたな。本来の姿でいさせてやれなくて悪かったな。」と思ったものでした。

関口萌は上記の3rdレコ発ワンマン後に、役目を終えてアディーが抜けたので、さてドラマーどうしようと考えて、友人の佐古勇気に相談してみたら「関口萌君がいいんじゃない?」と教えてくれて、会ってみた。
そして、俺が「6枚のアルバムを完成させるまでは、何がなんでも終われない。」と言った時に、萌ちゃんの心が動いた気がした。(俺が勝手に思い混んでるだけかも)
作品を残したい、という事がどれだけ大切な事か、分かっている人の様な気がした。
そしてそれは当たっていて、4th以降のレテパのアルバムの一番大事な部分をはじめちゃんが守ってくれている気がします。
ありがとう、はじめちゃん。

タカユキカトーは、4thのマスタリングをお願いした時に、久し振りの再会。(2014年の1年間レテパギター担当でした)
マスタリング時、俺の感覚を言わなくても分かってくれている様子を見て「過去に一緒に過ごし、感覚を分かってもらえている、というのは素晴らしい貴重な事なんだな。」と感動しました。
飯田裕が抜けて、ベーシストを捜していた時期で、断酒を始めたばかりの不安な頃でした。
その頃は、もうライブをする事は諦めていて(ライブが上手くいかず飲みだしたら終わりなので)あと2枚のアルバムを完成させる事だけを目的に生きていました。
「タカユキ君、ベーシストじゃないけどベース沢山持ってたし、多分弾けるんじゃないかな?そして、録音エンジニアも兼任してもらったら、ラスト2枚は傑作になるのでは?」ともくろみ、オファー、彼も「6枚のアルバムを完成させるまでは、何がなんでも終われない。」という俺の言葉に、動いてくれた気がします。
そして、沢山持ってたけど弾けるのかなー?の心配をよそに、タカユキ君は素敵なベース弾きでした。
ありがとう。ほんとあとちょっと、がんばろう。

そして2nd終了後に脱退。4th制作から帰って来てくれた、ハダユキコ。
4thに「ヘルメットヘアー」という歌があります。
彼女の名誉の為に書きますが、酒を止めてまともになったから彼女は帰ってきた訳ではなくて、この歌も諦めのベロンベロンで作った歌ですし、2018年4月1日に俺達は結婚しましたが、もし家に隠しカメラでも付けられていたら、壮絶過ぎて110番!される位の生活の中、それでも別れ切れずに(多分、負けず嫌いなんだな。極度の。)結婚してしまった、という感じですので、やはり公私共に一番大変だったのは彼女でしょう。ありがとう。
結局、俺が6枚、彼女が5枚、俺以外だと一番長くレテパシーズです。
彼女のピアノを上手いと言う人もいますが、彼女は上手いというより、下手だがパンク、なところが素敵だと思っています。
ライブになると、パンクスになります。見た事あるでしょう?あなたも。

というわけで、3rdも4thも再録してより素晴らしくなったぞ。
5th,6thすげーハードル高くなったぞ。
がんばろーね。もう少し。

ps.写真は「深海」の三笠市立博物館の駐車場にて。
これでやっとこの時の光を思い出せるようになりました。

ps.昨日は6th録音前の最後の練習でした。
みんな自信満々でした。俺も自信満々です。
こうご期待。

7月28日(火) 最初で最後の一人宅録多重録音

無名だけど、いいバンド。
心の奥底では、それでもよい、とも思っているんだが、それにしてもこれでは無名過ぎる。

普段、一人でお参りなんてしないが、家族との付き合い等で、どうしても神社でお参りしなくてはいけない時は、色々な存続が危ぶまれてきた2017年以降は「完成後、即、即死しても構いませんので、6枚のアルバムだけはどうか、無事に。」と拝んでいた。

5/31に1st「僕を殺せるのは僕だけさ」を配信したあたりから、色々な不安と期待(37才になったが、まだ人生に慣れない。なんでも大騒ぎしてしまう)でおかしくなりそうでしたが「6thアルバムを発表するまでは、癇癪を起こさずに、何も破壊せず生きよう。絶対に。」と、配信した曲の再生回数の少なさを目にする度に、全て捨てて家出したい気持ちを抑え、こらえろこらえろ、と自分に言い聞かせてきましたが、一昨日、少し癇癪?を起こしてしまった。

以下、癇癪写真日記です。

6/30に2nd「愛してるよ」を配信しましたが、ひどい再生回数だった。
才能がなかったんだろう。

ここ数年ほとんど歌が出来ない(新曲至上主義者を軽蔑しているので、むしろ良い事だとすら思っている)が、今回の心の乱れ様に、さすがに心の方でもこのままではマズいと感じたのか、新しい歌が出来てしまった。
(「出来てしまった」というのは本当に実感で、レテパでアルバムを残す事の大変さが身に沁みているので、これ以上新曲が入る余裕は無いよ、という思いが根底にあるのだと思う。あまり理解されないかもしれないが。)

6th「アコースティック」の録音はもうすぐだし(来週)この歌のアレンジをする余裕はバンドには無い。
が、発表するなら、今じゃなきゃ意味のない内容だし、一人弾き語りではどうしても再現できない箇所があり、どうしようかと悩む。
で、思い切って人生初めての「一人宅録多重録音」にチャレンジしてみる事にした。
義理の弟に貰ったアイフォンで「多重録音DubDub」というアプリをダウンロードしてみる。
「アイフォンのボイスメモで録音したものをただ重ねられる」という原始的で初心者にはうってつけのシンプルさ。
それなら俺でも出来る。
(「ガレージバンド」というのも見てみたが、複雑そうだったし「ギターとアンプ」の絵が嘘つきっぽかったのでやめた。)

まず、いつも通り、ガットギターで弾き語り。
そして、ユキコのキーボードを借りてピアノの音を入れてみるか、と思ったが、ユキコのキーボードは高野君が別バンドのレコーディングで使いたいと言うので、貸してしまっていて無かった。
が、今すぐ録りたかったので、引っ越しの時に納戸にぶち込まれていた、キーボードみたいなのを探す。

開けてびっくり。
これは俺が大ファンのツナオジェットボーイが使用していたやつと同じやつだ。
奇跡だ。彼は天使が舞い降りるような爆音をこのキーボードで出していた。
良い予感がする。(ちなみに鍵盤を弾くのは小学校5年生以来だ、でもなぜかこの日は弾ける気がした)
早速音を出してみる。

が、この表示の音から音が変わらない。
持ち主のユキコはまだまだ帰らない。(俺は専業主夫だ。ああそうだよ。クズだよ。知ってるよ。)
が、今すぐ録りたい。ので、そのままの音でとりあえず録音してみる。
何も考えず、先程の弾き語り音源に合わせて弾いてみた。
天才なんじゃないか?(多分皆さん初めての宅録ではそう思うのでしょう)と思えるような演奏ができた。
一発OK!
この表示なんて読むんだろう?
「コイオチルT」?恋に落ちる、どんなTシャツだ?乳首でも透けてんのか?なんかいいね。

で、メンバーに聞かせてみたら、みんな褒めてくれたので、シングルとして配信することにした。
この歌は「僕のレテパシーズ」名義で出すのが意義があると思いましたので、俺一人の録音ですが、レテパ名義です。
高野君は「素晴らしいけど、レテパ名義だと、今のレテパの感じがこういう感じだと勘違いされないかな?」と少し心配してた。
ので、書いておきますが、5thも6thもレテパ過ぎる程レテパなのでご安心を。

こういうのは今回だけ。最初で最後の一人多重録音だ。
今だに「一人で多重録音するなんて、パンクじゃねえんだよ。地獄に落ちるぞ。」と、理由なき反抗期ですので。

すぐに聞いてほしいけど、配信は色々と手続きがあるので、8/6に配信されます。
まずは7/31の3rd「永遠に、たまに」をお楽しみに。

そして、この「永遠に、たまに」に関して、報告しなくてはいけない事があります。
それはまた次回。

7月25日(土) 「愛してるよ」解説第2弾

少しご無沙汰でしたが、色々頑張っています。
何を頑張っていたのかは、また今度。

皆さん、2nd「愛してるよ」聞いてくれましたか?
早いもので、来週は3rd「永遠に、たまに」が配信されます。
あまりご無沙汰だと、心配してくれる心配性の人もいるので、今日は「愛してるよ」解説第2弾。

各曲のプチ解説です。

1.「見知らぬ青年との会話」
下北沢Queにて、見知らぬ青年に話しかけられた時の会話そのまま。
当時、ブルーハーツのファーストのような衝動的な恋をしていた。
3rd収録「夜に名前を」同様、予定調和なサビやAメロBメロ、ましてやCメロなんて気持ち悪い、という反骨精神の固まりのような曲です。
最近、高野君が「今時のサブスク全盛の聴衆はギターソロや前奏を飛ばして聞くらしい。」と教えてくれたが、不必要でつまらない編曲が多すぎたから、そうなるんだと思う。
レテパは必要がなければ、前奏もソロも作らなかったので短い曲が多い。
短くて成立するならば短い方が良い。削れるだけ削る。
時代が追いついてきた形です。遅えよ。
(2012年作詞作曲)

2.「空知」
2才〜13才まで月形町。
14才〜18才まで岩見沢市で育った。
両方、南空知にある町。
今でも思い出すと一瞬で、ひび割れたような懐かしさでいっぱいになる。
高校終了後、札幌で一人暮らしを始めたが、都会が嫌で札幌から空知を懐かしんでいる歌。
冒頭の「123223」は高校生の時に見た、あがた森魚がタンゴを歌う時に言っていたのを真似した。
真似したくせに対抗意識でもあるのか、ライブではよく上から目線で「本当のタンゴってのを教えてやるよ」と言ってから歌い出している。
「不安を懐かしくした青空だからー」のあとの、タララタララタララタララー、というギターとか2002年当時から弾き継がれている。
他の歌でも過去メンバーのメロディーが残されている歌は多い。
(2002年作詞作曲)

3.「ハローグッバイファックユー」
あるメンバーが辞めてしまった時に出来た歌。
レテパにしては長い歌なので、バンドアレンジがビシッと決まるまで何年もかかった。
2012年からレパートリーだが、決定版のアレンジになったのは2016年飯田裕が加入してからで、彼の功績が大きい。
何を隠そう、あるメンバーが辞める事件の原因を作ったのは、飯田裕(当時俺は知り合いでは無かったが)だったみたいなので、自分で全てを解決した形になる。
なかなか出来ないことだ。すごい。
(2012年作詞作曲)

4.「夕焼けより」
京王稲田堤に住んでいた頃の歌。
このアパートが一番歌が出来た。
同年の2007年作は「君しかいない」「海へ行こうよ」「夜明け前」「バスが来るまで」等。
最近ユーチューバーの手伝いをしている友人が「ユーチューバーは視聴者に映像を止める機会を与えない為にはどうすれば良いか、を第一に考えて映像を作ってるんですよ。」と言っていた。
この歌の「僕のマンガの感動のラストシーン 君は読むのをやめて電車の外の夕焼けを見る」はその真逆だ。
13年前にすでに批判してやった。ざまあみろ。
(2007年作詞作曲)

5.「北」
新宿ジャムの前の通りに不機嫌に座っていたら出来た歌。
2004年に札幌から東京に移ったが、どこのライブハウスにも馴染めず、イライラしていた。
でもそれは札幌でも同じで、高校生の頃、161倉庫のKCさんに拾われなかったら、多分グレていただろう。
札幌では161倉庫、MOON PALACE、LOG、とかは好きだった。
要するに、店主が絶賛してくれた店が好きなわけだ。ただそれだけの事だ。
北海道へのホームシックの歌。
編曲時、俺は知らなかったが、これは所謂「カノン物」らしく「カノン物を作ると、一発屋で終わるというジンクスがあるが、大丈夫か?」とメンバーの誰かに冗談半分に聞かれた。
当時は「一発屋は嫌だな。」と答えたが、一発どころか0発だ。
いい加減グレそう。
(2005年作詞作曲)

6.「東区が恋しくて」
当時北区に住んでいたが、東区の女が転がり込んで来て同棲を始めた。
出会って1週間で同棲が始まり、2ヶ月後に結婚した。8年後に離婚した。
(2003年作詞作曲)

7.「再会」
札幌のある友人への歌。
久し振りに見た彼のライブが良くなかったので出来た。
ギターを始めたばかりの人は、この歌から始めれば良い。
コードが2つで簡単だから。
GとGの人差し指と中指を一つずらしたコードのみで出来ている。
その後「一口目のビール」を夜に溶かさなくなったのは俺の方だった。
歌の彼は昨年、不吉な風の噂を聞いたらしく、俺の様子を心配して会いに来てくれた。
俺の元気な様子を見て、嬉しそうにしてた。
(2009年作詞作曲)

8.「札幌ナンバーの最後」
歌詞に出てくる「青い看板」は161倉庫の前の旧石狩街道を海方面に少し行った所にある「石狩9Km」の青看板の事。
「あいつが死んだ時」とあるので「あいつ」が「キヨシロー」と勘違いしている人に何人か出会ったが、この頃はキヨシローはピンピンしてた。
この年?のライジングサンに行ったら(今は分からんが、当時は金払わないでもぐり込めた)キヨシローが出てたので見た。
おそらくキヨシローの悪ふざけで、本人登場前に、ローディー?が前座でダラダラと歌い、その後キヨシローは矢野顕子を連れて登場し、イチャイチャだらしないライブをした。
持ち時間もオーバーしてた。
俺の後ろでは若者が「ダセーな、じじい引っ込めよ。」とヤジを飛ばした。
それを聞いたロックなおばさんが「あんたねー、キヨシローが今まで何をやって来たか知ってるの?タイマーズ!RC!聞いた事あんの!?」と掴みかかっていた。
俺は「なんだかなー。」と酔っ払っていたが、そんな苛立つ大観衆の前に、次の出演者が登場した。
若者は「じじいが続くなー。」とまた毒づいた。
出てきた出演者のじじいは一言も喋らずにギターをジャラーン、そして「都会では〜」の第一声で会場にいた数万人の鳥肌の音を俺は確かに聞いた。
キヨシローが作った最悪の雰囲気をたった5文字で一掃したグラサンじいさん。凄かった。
(死んだ人の悪口を言うな、とよく言うが、これは悪口ではない。キヨシローも含め最高の美談だ。)
この歌もこの決定版のアレンジになるまでに14年か?かなり時間がかかった。
が最終的に素晴らしくなったので良かった。
ドラムのアディーはこの間奏の「ダララララー」というドラムが苦手だったらしく、始め珍しく手こずっていた。
が、次の週の練習では完璧になっていた。良いドラマーだった。
ちなみに2番の「ペシャンコ」の声はユキコ。
ギターのはなえもんはよく股を開いてギターを弾くが、毎回この歌の時が一番開いていた。
(2002年作詞作曲)

9.「夏のしっぽ」
得意の1番〜5番まであるパターン。
6th「アコースティック」収録の「月形」「旅に出るなら」もそう。
唱歌みたいで、こういうのが一番好き。
高校生の頃に付き合っていた、玉ねぎ農家の娘の林さんとお別れした時の歌。
高校3年生だったので、林さんの制服のスカートのおしりが年季が入ってテカテカしていて、その揺れるお尻を見ていたら、別れるのが惜しくなって来た。
そういう歌です。
(2001年作詞作曲)

10.「ロックンロール」
高円寺北口のアコムで金を借りて、隣のローソンで第三のビールではなく本物のビールを買い、アコムのビルの1Fの「くいしんぼ」の入り口から流れる有線を聞いていたら出来た。
が、実は珍しく曲だけは先にあったもの。
2015年頃、野に咲く野生の花だったレテパを、何とか花屋の花に育てようとしていたレコード会社の人が、あまりにも金の無い俺を見て「今、関わっているアイドルの曲を作ってみないか?」と言ってくれた。
もちろん即答で「ガラじゃないし、第一作ろうと思って歌が出来たことが一度も無いから無理無理。」と断ったが、次の日そのアイドルグループの名前から始まるそのグループのテーマ曲みたいなのが、勝手に頭の中で出来てしまった。(虹の〜という名前だった。)
が、その商売人とは喧嘩別れしたので、その歌も放置していたが、有線のロックンロールを聞いていたら、その歌のメロディーに新しい歌詞がついて、こんな歌になった。
そんな事は忘れていたが、この前そのアイドルグループがテレビに出てて、思い出した。
このアルバムでは「ロックンロール」だけが新曲で、旧レテパでも演奏した事の無い歌だったので、過去のアレンジのイメージに流されず、みんな伸び伸びとアレンジしていた気がする。
過去のアレンジの手垢の付いた曲を、またアレンジするのは、やはり真っさらの状態の新曲をアレンジするよりも難航する場合が多い。
レテパの歌は8割は再アレンジだったから、みんなに苦労をかけた。
が、最後にはいつも素晴らしいアレンジになった。
今も昔も、誰か一人が中心になってアレンジするというよりは、5人全員でアレンジする、というバンドだった。
(2015年作詞作曲)

以上。気まぐれ曲解説簡易版でした。
では7/31「永遠に、たまに」お楽しみに。

PS.また写真が出てきたので2016年「愛してるよ」関連の写真をどーぞ。(多分レコ発ツアーの写真です。)

7月1日(水) 「愛してるよ」解説

衝撃のセカンドアルバム「愛してるよ」こちらでサブスク配信始まりました。

2016年。正直このあたりから、第一次連続飲酒が始まり、かなり記憶が曖昧ですが、写真は残っていますので、それを元に過去を振り返ってみようと思います。
それでは解説スタート。

ジャケットデザインは谷口正造さん。
1st収録曲「君しかいない」のPVも作ってくれた方です。

録音当時のメンバーです。
1stでベースだった寺中四が抜けて、飯田裕が加入しました。
他は1stと同じメンバーです。
ちなみに寺中さんは2015年の秋田ハイコーフェスの帰り道に脱退しました。
2016年のハイコーフェスの直後にはユキコトーキョー脱退。
2017年のハイコー直後にはなえもん脱退。
そう。レテパシーズとハイコーフェスはただならぬ関係でした。

当時のポスター。
最後まで飯田裕はこの自分の顔が気に入らなかったらしく、文句垂れてた。

「愛してるよ」ツアーの日程。
今は健康的になり、カブに乗ってどこまでも旅人モードですが、当時は、外泊嫌い、めんどくさい、集団行動嫌い、と、俺が渋るので、こんな5箇所の日程を組むのにも、メンバーに苦労させた気がします。
昔誰かに「え!?バンドも集団行動に入るの?」と驚かれたことがあるが、超集団行動だと思う。
今は好きも嫌いも超えた、酸素よりも必要な存在になってしまったが。
当時はまだバンドマンになり切れていなかったと思う。


CD購入特典。
3種類あって「タワレコ」「ヴィレッジヴァンガード」「その他店舗」で特典が分かれていた。
これは「B盤」中身は、ブランキージェットシティ「赤いタンバリン」のカバー。
あと、ビートルズの「インマイライフ」を俺が適当な日本語に訳して、レテパで演奏したのも入ってるはず。


「H盤」ハイロウズ「即死」のカバー。
ハイロウズで好きな歌3つあげろと言われたら「即死」「見送り」は絶対に入る。
もう1曲は気分によるが今日聞かれたなら「アウトドア派」かな。こんな天気にピッタリ。


「P盤」ピーズの「クズんなってGO」のカバー。
名曲だし、当時の気分に合ってた。


これも特典だと思う。
はなえもんが絵を書くの好きだったし、飯田裕も行動的だったので、2016年あたりから俺は、ほとんどただ歌うだけだった。


これも特典ステッカー。はなえ画伯作。


これもそう。絵もギターも素敵。
当時を知る人からよく「はなえもん、天才だったのにもったいないですね。今、何をしてるんですか?」とか聞かれる。
俺達は後悔ばかりだが、常に最善を尽くしてきたと思う。
とにかく「愛してるよ」聞いてみて下さい。
全部投げ出して、ここまでのアルバムを作ったのに、売れずに黙殺されるという屈辱だけでも、気が狂ったっておかしくないんだ。
そう思います。
でも、少ないながらも「愛してるよ」を愛してくれたあなた達がいなければ、間違いなく6枚目まで辿り着けずに死んでいたと思います。
ほんとあとちょっとなんだからがんばります。


屈辱のあまり、ツアー先(京都か?)でこういうことになる。

ここからは「愛してるよ」収録曲のPV解説。

「札幌ナンバーの最後」
監督は、はまいばひろやさん。
いーちゃんの知り合いで、俺ははじめましてだった。いい人だった。
撮影場所は忘れたが、監督は事前に入念なロケハンをしてくれていて、俺達は言われるがままにがんばった。
多分千葉とか?の海を中心に撮影したんだと思う。
1日で撮影が終わる予定が、終わらず(演奏してるシーンが終わらなかった。)あの場所から近い漫画喫茶で仮眠を取り、日の出とともに残りの撮影をした。
映像の最後のシーンは、撮影的にも本当にラストシーンだったので、メンバーみんなの終わったー!という解放感がにじみ出ていると思います。

「ロックンロール」
監督は、はなえもん。カメラは長谷川大。
歌詞の冒頭が「高円寺の〜」なので撮影も高円寺でした。
はなえもんが張り切って衣装も用意してくれて、素敵なPVになりました。
俺らはキヨシロー〜ヒロト、マーシー〜レテパ、という世代なので、先輩達同様「PVは適当にふざける」という伝統が染み付いてしまっていて、最近の(流行に敏感な友人が、たまには色々見た方がいいですよ、と見せに来る。)映像自体が感動できるPV、歌をより良く感じさせるPV、が好きな人から見ると時代遅れのポンコツかもしれません。
が、太宰さんも言っていましたが、作家は一つの時代しか生きられないのかもしれない、というのは、本当な気がします。
俺の曾祖父ちゃんは太宰さんで、じいちゃんはキヨシローとか1950年生まれのフォークの人達で、父母はヒロトやマーシーで、その子供なんです。
売れてないだけで、歌いだしたのは2000年だからね。
2000年代。2010年代。そんで2020年代か。
最近の音楽事情はクソだ、という人もいるが、俺が始めた2000年頃も変わらずクソだったよ。だから大丈夫よ。

「東区が恋しくて」
アルバムデザインを担当してくれた、谷口正造さんが作ってくれたPV。
「東区が恋しくて」「君しかいない」はレテパのポンコツPVというよりは、谷口正造の「作品」ですね。

「ハローグッバイファックユー」
長谷川大が作ってくれました。
2015年頃〜2016年頃までのレテパの映像が色々見られます。
このPVを作ってくれていた時にユキコトーキョーの脱退が急遽決まったので、映像最後のあたりはユキコ多めな気がします。
PVが終わると、2016年のハイコーフェスのライブが丸々入っています。
音は悪いですが、ボロボロの果てのロックンロールが映されていると思います。
ブルースマンでもパンクスでもなく、ロックンローラーという感じです。
アンコールで「赤いタンバリン」を歌っています。

以上、長くなりましたが「愛してるよ」解説でした。
次回は7月30日サードアルバム「永遠に、たまに」が配信されます。
お楽しみに。

PS.昨日は6th「アコースティック」の練習でした。
ブルーハーツの「ダグアウト」とマーシーの「夏のぬけがら」で出来ている俺のアコースティックな部分が全開の最高傑作になるような気がしています。
自信満々なので「愛してるよ」を絶賛できるわけです。
がんばる。祈っててね。

ほんと、今も昔も素敵なメンバーに恵まれています。
変わった人が多かったけどね。

PS.あ、書き忘れてた。
「愛してるよ」録音は馬場友美。
吉祥寺のGOKにて。
アナログテープ?オープンリール?
俺はよく分かってなかったが、アナログ録音でした。
このサウンドに近づきたい人は参考にしてね。