10月27日(日) アルバム全曲解説「雨の日々」編

「雨の日々」

思い出をつくろう そしていつも思い出そう
僕らは今日が苦手で いつも昨日を話してる

今日を捨ててしまおう すぐに思い出せるように
昨日を語り、今日を捨て、そして明日をチラ見する

雨の日々が続いてるように 傘が増えてしまうように
増えすぎだね、なんて言っていた 傘が気付けば無いように

別に悲しくなく とても楽しくやってるよ
何だか少し遅いだけ 今が今も思い出のよう

だから今日を捨ててしまおう いつも思い出せるように
昨日に出会い、今日思い、そして明日をチラ見する

雨の日々が続いてるように 傘が増えてしまうように
増えすぎだね、なんて言っていた 傘が気付けば無いように

3rdアルバム「永遠に、たまに」収録
(2009年作詞作曲)

アルバム全曲解説。
全曲っつって始めましたが、1週間に1曲書いたとして、40曲書くのに10ヶ月。
それだとその間に新しいアルバムも出来てしまい、その歌も解説してたら1年経っても終わらない事になる。
時系列で曲を並べて書いた方がわかりやすいかな?と最近少し思ったが、そこまで考え出すと時間がかかり過ぎるから、やはり適当に思いつくまま書く事にする。
全部終わったら、わかりやすく年代順に並べますね。多分。

1st、2nd、4th、ときたので今日は3rd「永遠に、たまに」から「雨の日々」の解説です。
以前どこかで話した気もするが、これはまあ、傘の歌。
ライブやスタジオなんかに行く人は特にそうかもしれませんが、出かける時に雨が降っていなかったら、荷物も多いし面倒だから多少あやしくても傘を持たずに出かけます。
で、帰る時にはザンザン降り。
でもライブハウスやスタジオには忘れ物の傘が腐るほどあるので、貰って帰ります。
このパターンが続くと家は大量の傘で溢れかえる。

そして、傘さして出かけたが、帰りは止んでて傘忘れて帰る。
この反対パターンが続くと、どんどん傘は減っていきます。

歌が出来たのは2009年頃、稲田堤ユアサハイム時代の歌です。
出かけようとしたら雨が降って来たが、傘が1本も無かった。のでしょう。

2004年(22才)に札幌から東京(稲田堤は川崎だが)に引っ越して来て、最初の3年位は特にひどく落ち込んだ。
ホームシックとは少し違うかもしれないが、とにかく季節感の違いに参ってしまった。
俺は父が空知出身(三笠、栗沢)で母が東京もんのハーフなので、母の実家の祖父母の家にはよく遊びに行っていたし、所謂「田舎のコンプレックス」や「都会への憧れ」みたいなのは全く無く、どちらの良い面も悪い面もちゃんと感じてバッチリ育ったハーフ&ハーフだと思う。
が、住んでみるとこんなにもダメなものか、あらためて自分の体に染みついている北国の季節の大きさに気付かされた。
夜空も青空も夕焼けも朝焼けも、どんな空を見ても美しいと思えなかった。俺の知ってる空とは全然違った。
文化が、とか、風習が、とか、信仰が、とかそういう事では無く「北」の匂いを嗅ぎたいがために、萱野茂さん、藤本英夫さん、藤村久和さん等、アイヌ関連の本をひたすらに読んでは北国の季節を思っていた。
(同じ季節の中で暮らしていたのだから、当然の事だが、読むと心に知っている懐かしい風が吹いた。)
(昨日NHKにとても美しい顔をした人が出てて、誰かと思ったら藤村久和さんだった。俺は毎日テレビを見てるが、こんな美しい顔の人は滅多にテレビに映らない。美しい人を見たい人は10/31の0時から再放送みたいですよ。「アイヌらしく 人間らしく~北海道150年 家族の肖像~」)

その後、内地の季節感にもだんだんと慣れ、2007年~2009年くらいは、安定期というかのんびりと暮していて、歌もたくさん出来た。
この頃は調布の深大寺にある鬼太郎茶屋という所でアルバイトをしていて(ほんとにお世話になりました。)深大寺ものんびりしているし、水木さんものんびりしているし(何度かお見かけしたが眼光は鋭い。)レテパも始まる前だし(レテパは2010年~)人生で一番のんびりとしてたんじゃないかな?(当時の俺が聞いたら「そんな事ねえ!」と、殴りかかってくるかもしれないが。今はそう思う。ごめん。)
今のレテパのレパートリーだと「海へ行こうよ」「プレスカブのスピードで」「君とスピッツ」「夜明け前」「バスが来るまで」「ユーレイ」「MOON PALACE」「アズミ」「再会」「雨の日々」他にもレテパでやっていない歌もたくさん出来た。
不安定?だった2004年~2007年だと「北」「夕焼けより」「君しかいない」がレテパレパートリー。

2004年(22才)~2009年(27才)はスポーツ選手なら全盛期かもしれないが、俺の場合は完全なる準備期間でした。
今度のアルバムにもこの期間の歌が何曲も入るだろう。お楽しみに。

PS.毎日テレビを見てる、と書いたが現代人と比べるとかなり見る方だと思う。若い女なんかと同棲すると大抵驚かれる。
テレビ以外の事は頭の中に遊びが無いというか、そのものの事しか考えられない、ので、半分くらい他の事を考えながら見れるテレビ鑑賞が、ボーっとするにはちょうどよい。前頭葉も委縮してるみたいだし。(酒の時に脳ミソ撮ったら骨との間に隙間が出来てた。)
今朝もテレビ見てたら、奥田民生が、
「音楽はタダで聞く時代だから、確実にCDはこの世から無くなるでしょう。」と言うので以下のような妄想してた。
「ああ、音楽やってなくてよかった。」
「じゃあ、何をやってるんですか?」
「レテパシーの大量放出。」
「レテパシーって何ですか?」
「日本語だと「愛」に近いけど。ちょっと違うな。」
「「愛」とは何ですか?」
「僕のレテパシーズのファーストの10曲目を聞いて下さい。」

PS.先日、吾妻ひでおさんが亡くなったと聞きました。
「失踪日記」「アル中病棟」がこの世に無ければ、レテパは2枚目あたりで終わっていたでしょう。
とにかく6枚目までがんばります。
「おかげさまで諦めることなく完成出来ました。」と感謝の気持ちを伝えたかったな。

↓委縮した俺の脳ミソ。2017年6月。
医者には「アル中にしてはまだ若いし、がんばって栄養摂れば少しは隙間埋まるかもね。」と言われたがどうでしょう?文読んでて埋まってる感じしますか?スカスカですか?

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10月17日(木) アルバム全曲解説「札幌ナンバーの最後」編

「札幌ナンバーの最後」

死にたくなる時は左手を胸に置き 
出来るだけ遠くの空を見つめていよう

海まで9kmの青い看板の下で
優しくなりたいね お前の言葉を聞いた

もしも今、キヨシローに愛し合ってるかと聞かれても
僕にはただヘラヘラと笑うしか出来ないだろう

あいつが死んだ時 キャメルのラクダが泣いた
その歌が遠くの戦場で雨になった

生まれ変わる時はテレビなんかないとこで
戦争が起きても気付かずに笑っていよう

もしも今、キヨシローに夢を持ってるかと聞かれても
僕にはただヘラヘラと笑うしか出来ないだろう

夜の街 雪が降り 札幌ナンバー ペシャンコ
あーキレイだなあ

もしも今、キヨシローに愛し合ってるかと聞かれても
僕にはただヘラヘラと笑うしか出来ないだろう

夜の街 雪が降り 札幌ナンバー ペシャンコ
あーキレイだなあ

2ndアルバム「愛してるよ」収録
(2002年作詞作曲)

前回の「プレスカブのスピードで」の解説で、色々なアルバイトをしていた事を書きましたが、この歌は警備員をやっていた頃、2002年に出来た歌だと思います。
警備のバイトはどの現場に行っても、大体ムカつく先輩がみたいのがいたから、いつもなら初日で辞めるパターンだったのですが、世話になったエルビス系ロカビリー歌手(名前は確かトマソン清水)の人が紹介してくれたバイトだったので、その人の顔に泥を塗るようなマネは出来ず、仕方なく契約の3ヶ月間働きました。
3か月の間に、10か所以上の現場に行きました。

厚田の山奥の現場では、近所の漁師の人が大量のホタテ(数にしたら100個以上)をくれたり、地元岩見沢(札幌から車で1時間位です。)の国道12号線沿いの現場は母校の生徒の通学路なので、卒業からまだ2年しか経っていないのに、俺はもう優しい気分になっていて、学生を眺めながら、あの頃の事を懐かしく思い出したりしてました。(あんなに殺伐荒涼としてたのにね。)

そんな中でも思い出深い現場が、札幌市南区(「芸術の森」あたり)の住宅街の現場だ。
この現場は深夜の時間帯で、ほとんど車も通らないような道を片側交互通行(カタコー)にする現場。
よく札幌で熊が出た、というニュースをやっていますが、これは大体この南区のあたりですね。まあ山の中に住宅街がある感じです。

真夜中、シーンとしていて、現場も一人でやっていたから、邪魔するものが何も無く、何曲か出来た。
「ミツバチ」「SFマンボ」「札幌ナンバーの最後」他にも多分何曲か。
※「SFマンボ」はアルバム収録時「精神障害者は天使 ちほう老人は神様」というタイトルに改題されてますが、やはり最初の「SFマンボ」の方がしっくりくるので、増版の際は戻す予定です。この経緯はSFの解説の時に詳しく書きます。

余談だが、この現場の道を通る数少ない車の中に、アディー(元レテパドラマー鈴木亜沙美)の母親がいたらしく、俺はまだアディーとは知り合いでは無かったが、ヘルメットから溢れ出る尋常じゃ無い毛量がこの住宅街にインパクトを与えていたらしく「凄い頭の警備員がいるよ!」と町内の噂になっていたらしい。
後日、知り合いになったアディー母が「ああ!あの時の!」と言っていた。

もし、俺の歌を前期やら中期やら時期を分ける評論家がいたならば、最初の歌「僕の頭が火事になったら」~「夕立が降ってる」あるいは「地下室の外は」で一区切り。(これは「夕立派」「地下室派」意見の分かれるところだろう。評論家泣かせだ。)
そして「札幌ナンバーの最後」で第二部スタート。これは皆様満場一致だろう。

そして本人にも明確に変わった意識がある。
アルトサックスを投げ出して、歌い出してからずっと、ガットギター(そう言えば2000年頃ガットと複音ハーモニカでやってたら、いつも珍しがられた。今は珍しくないけど。いつも時代を先取りし過ぎる傾向にある。「食べるラー油」も世間のブームの5年前にはブーム去ってたし。)でソロで歌ってました。
ジャズの影響か、歌いながら感情で速度を速めたり遅めたりとか、無音と有音を同等に扱うとか、それはソロでしか出来ないし、自分がバンドを組んだり合奏したり、なんて一生無いと思ってた。
普段はソロのくせに、CDだとバンドになっていたり、のCDも嫌いだった。
(今でもそうだが「普段通り」じゃ無い事が極度に苦手だ。)
普段をなめんな、という気持ち。クレイジーで素敵な普段を目指そーね。

で、変化は2002年の春、北12条の環状線沿いのツタヤにて起きた。
ROSSOの「BIRD」を試聴したのです。
1曲目を聞いて「お!カッコいいー!」2曲目「シャロン」で「俺もこういうバンドを組もう。」というわけです。(先日の「アズミ」の学祭のステージで「ミッシェル」とありますが、これまた悪い意味で早熟だった俺は小馬鹿にして聞く耳を持たなかった。ので、正式?純粋?に未知の新人バンドとして聞いた。)
16才のハイロウズ「千年メダル」の衝撃も「バンド組もう」とは全く思わなかった。バンド組もうなんて、人生で今回初めて。
CDはとても素晴らしかったし、歌詞カードの最後のページの照ちゃんの笑顔がサイコーにイカしてた。
ボーカルのチバ(レテパ初期に西荻窪のスタジオUENで練習してると、他の部屋で歌うチバの歌声がよく混線して俺の部屋のアンプから聞こえてきてた。彼らは2階の大きな部屋、俺らは宇宙船みたいな白い照明の小さな部屋。セブンティーンのPVに出てくる。あのPV雪じゃない部分は大体西荻。)はパンクな笑顔でキメてたが、照ちゃんは二カッ!と笑ってて、その笑顔を見てたら、バンド組むしかない、と思った。

それで、その頃から歌が出来る時は、頭の中でバンドサウンドで出来るようになってしまった。(2004年~2010年はまたソロの頭に戻る。)

周りにいた人間の中からメンバーを捜し「アシカラズ」というバンドを組んだ。
https://tower.jp/item/1079219
↑アルバムも作った。レテパでやってる歌だと「空知」「札幌ナンバーの最後」「SFマンボ」がアルバムに入ってる。
この辺りの事は長くなるから、ちょっとだけ書くと、

活動自体は1年位(2002年~2003年頃)だったし、ライブもCDも力んでばかりいて、まともな活動は出来なかった。と思う。
アルバム録音時はひどい風邪で鼻声で、しかも前日161倉庫でテキサスパコというバンドのライブで踊って手を骨折してた。
それでも、噂を聞いた(どこからだ?マジで。)東京のレコード会社の人が「原石だ!」っつって札幌まで会いに来たりした。
だがやはり原石過ぎたのか(原石っつーか調査発掘前の鉱山みたいなレベルだった。まあ、信じて掘れば大金稼げただろうがね。)業界人は去って行き、その後その部署からはフジファブリックというバンドがデビューしてた。
すげえ探したら当時の試聴サイトとかあるかもだが、恥ずかしいから探さないでね。

札幌ナンバーの最後の歌詞に出てくる
「海まで9キロの青い看板」は161倉庫の前の旧石狩街道に「石狩 9Km」という青看板があって、それの事だが、後で考えてみたら、これは石狩市まで9キロなのであって、海まででは無い。
札幌市民だった2001年~2004年までは海と言えば石狩か小樽だった。(カブで一人でよく釣りに行った。)

「キャメルのラクダ~」周りにキャメルの愛煙家達が多かった。

「もしも今、キヨシローに」忌野清志郎、昔、何かのインタビューでキヨシが「愛しあってるかい?ってこっちは本気で言ってるのに、あいつらヘラヘラ笑ってるんだよ。」って言ってたのが忘れられない。
もし不良少年に「ひろしさん、俺キヨシローって聞いた事無いんすけど、何から聞けば良いですか?」って聞かれたら、「ライブ帝国 RCサクセション70’s」のDVDを薦めます。

「その歌が遠くの戦場で」当時テレビではアフガニスタンの戦争の映像が毎日流れてた。
(前年の9.11の時は部屋にテレビもネットも無かったから、ラジオで聞いてた。)

この歌は2ndアルバム「愛してるよ」に収録されています。
廃盤になっている「アシカラズかっこいい」「LIVE AT MOTION」「ぴりぴりのファースト」全てに収録されていて、過去に一度アレンジした歌を再アレンジするのは難航する事もあるが「愛してるよ」では素晴らしいアレンジをメンバーが考えてくれた。
この辺りからアレンジの際にメンバーに最初からあれこれイメージを伝えるのは止めて、まずはメンバーの感じを聞いてみる、というやり方に変わって来た。
ハッキリ書けば、メンバーを信頼するようになった。

ギターのはなえもんはこういう演奏が得意分野なのか、いつもは上手く弾けずに大変そうだったが、水を得た魚のように、得意気に弾きたおしてた。
逆にアディーはこの手のは苦手だったらしく、最初苦戦していたが、数日経つと何かの訓練?修行?をしてきたらしく、自分の物にしていた。(イントロのスネアをタララララララー!ってやるやつね。)

このアルバムは吉祥寺にあるGOKというスタジオで馬場友美が録音した。
GOKはアナログテープ?(俺はよくわからん。)での録音で、大きなオープンリール?がクルクルカシャカシャ鳴っていたのを覚えている。
アナログ録音でみんな嬉しそうだった。
レテパは貧乏なのに、録音時には金に糸目をつけない事で有名だが、多分4枚中1番金かかったアルバム。

それでも馬場ちゃんの愛の力により、かなりありがたい金額なんです。
そろそろ出世払いしなきゃなあ。

↓俺のハートをわしづかみにした照ちゃんのニカッ。

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↓PVはベース飯田裕の知り合いの、はまいばひろやさんが撮影。
場所は千葉の方だったはず。多分。
なかなか過酷な撮影で、1日の予定が日が暮れてしまい、急遽近くに宿泊し、日の出と共に残りのシーンを撮影した。
(宿泊所には卓球台があり、みんな死ぬほど疲れてたのに、飯田とユキコは遊具を見ると遊ばずにはいられない根っからの遊び人で、寝ないでずっと戦っていた。エンジョイ気質もここまで来るとさすがに凄味があるな、と少し尊敬した。)
俺は言われるがままに、道路に寝転んだり喫煙したりした。
最後のシーンはずっと激しい尿意と戦っていたが、なかなかカットにならず、小便できず、監督の「はい!自由に動いてー!」の鶴の一声で自由に動きました。

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10月9日(水) アルバム全曲解説「プレスカブのスピードで」編

昨日はスタジオでした。もちろんコヤーマ。
2時間と短い時間でしたので「調布飛行場」「東京の空で」の2曲だけやりました。
「東京の空で」はソロのライブでも歌った事が無く、今回思い出し部屋で何度か歌ってみたが、歌ってると悲しい気分になるので、やっぱりアルバムに入れるのやめようかな、と思いかけていましたが、昨日スタジオで本気で歌ってみたら、悲しくならなかった。
みんなも、絶対に入れた方が良い、と言ってくれたし、歌っててちゃんと喜怒哀楽関係無い感じになれたので、めでたく候補曲入り。

「調布飛行場」は昔、調布近辺に住んでた時によく飛行場に隣接している大きな公園でぼーっとしてたので、その時出来た歌。
ユキコは調布やらの多摩地域に思い入れが強いらしく、この歌を聞いてると泣きそうになる、と言っていた。

アルバム録音に向けて順調です。

では、前回の「アズミ」に続きアルバム全曲解説第二弾です。

※一つ訂正。
前回の解説で最後に
「恋人は何十人~」あたりのベースが飯田裕曰く本人のベストプレイらしい。
と、書きましたが、飯田裕から訂正が入りましたので訂正。
正しくは、
「恋人は何十人~」あたりのベースが高野京介曰く飯田裕のベストプレイらしい。
とのこと。
言われてみたらそうだった。記憶違い。失礼しました。

では、全曲解説「プレスカブのスピードで」編

 

「プレスカブのスピードで」

プレスカブのスピードで 旅に出るの
プレスカブのスピードで 新しい朝へと

時速40kmの風になるの
時速40kmの歌にのせて

プレスカブのスピードで お前らの事など
プレスカブのスピードで 忘れてしまえるの

プレスカブのスピードで 旅に出たの
プレスカブのスピードで 夜風と並走

時速80kmじゃ 風を切り裂くだけ
時速40kmなら 風になるの

プレスカブのスピードで お前らの事など
プレスカブのスピードで 忘れてしまえるの

忘れてしまうの

 

2015年に発売された1st「僕を殺せるのは僕だけさ」収録。
歌が出来たのは2008年です。

前回解説で書きましたが、高校卒業後は161倉庫付近のアパートに住み、色んなバイト(コンビニ、警備員、スープカレー屋等々)を転々としながら、161倉庫を中心にソロで歌いながら暮らしていました。
そんなある日、高校時代の恋人からいきなり電話がかかってきて(携帯は嫌いだったが、無いとバイト雇ってもらえないのでプリペイド携帯を買った。彼女は俺の実家に電話して母から俺の番号を聞いたらしい。やはり全て母のせいだ。)会った。

一つ先輩だった彼女とは、彼女の卒業以来会っていなく、しかもその頃俺は前回書いたようにアルトの音に取り憑かれていて、少しイカれポンチだった。
ので、彼女の父親が自殺してしまったり、色々とあったのに、誰とも話す気分になれなかった俺は、彼女の事を避けて、そのまま彼女は卒業してしまった。

久し振りで懐かしかったし、その頃は彼女と楽しく話していた高校1年生の頃のような気さくさ(2年から気さくじゃ無くなった、と思う。)が戻ってきていたので、楽しく1週間位過ごした。
が、短大生になっていた彼女にはヤンキーの高校生の恋人がいたらしく、そのヤンキーに俺は呼び出された。(呼び出し場所は、新札幌あたりの郊外の使われていない駐車場。)
向おうとしたら、アパートの1階にあった喫茶店(北17条西3丁目ウエストウッド)の人達が「危ないから行かない方が良い。」と助言してくれたが、俺はその頃遅れてきたブランキージェットシティブーム(高校の頃友達は好きだったみたいだが、悪い意味で早熟過ぎた俺は当時バカにしてた。が、その頃、偶然見た中村達也の目つきと当時発売された「ワイルドウインター」という本が素敵で、大好きになった。)で、イケイケだったので、行くことにした。
止めても無駄だと判断した喫茶店の常連達は「それなら、永井(ヌルマユというバンドの永井君)に付いていって貰えば良い。」と言い出し、永井君も張り切ってやって来て、二人で人気のない深夜の駐車場に向った。

そこからは、まあ、あんま覚えてないし割愛する。(案の定ヤンキーは仲間を10人以上集めてやがった。)

結局彼女とはそれ以降会っていない。
が、色々ショックだった俺はバイトも辞めてしまい、落ち込んで自棄になった。
貯金が10万円位あったので、近所の雑居ビルのテナントが敷金無しで家賃3万円で借りれるという噂を聞き、スナックでもやるか、と思いビルのオーナーに会いに行った。
が、俺が若過ぎて不安だったのか断られ、同行してくれた紹介者に連れられて「輪茶館」という喫茶店に入った。
マスターはバイク乗りの間では有名な人らしく、俺にバイクの事を色々話してくれた。
で、「お前、時速40キロの風って知ってるか?」という名台詞がここで飛び出す。
長くなるから簡単に書くと、
マスターは当時50歳前後か?マイク真木を不良にした感じの見た目。
若い頃から暴走行為やらなんやら数々のバイクで数々の伝説を作る。
が、40歳を超えたあたりから、暴走行為では感じられない風がある事に気付く。
その風は、北海道の大自然の中、カブに乗りウォークマンで好きな歌を聞きながら「時速40キロ」で走る、と感じられるらしい。
他のバイクじゃダメで、30キロでも50キロでもダメで40キロ。
音楽と、景色とが、40キロで脳にダイレクトに溶けていく感じ。それが時速40キロの風。

「お前、スナックやるのにいくら持って来たんだ?」と言うので「10万円です。」
店の奥からカブを出して来て「このカブ6万円で売ってやるから、残りの4万で旅に出て、風になって来いよ。」「はい。行ってきます。」

というわけで、前回「アズミ」の放浪以来の放浪。
めでたく40キロの風を感じられたのでした。

それが多分19才あたりの話で、その後23才の頃東京(正確には川崎市多摩区稲田堤だ。)に引っ越した時にカブを運んで来る金が無く、札幌に見捨てて来たが、当時から友人だった元レテパドラムのアディー(鈴木亜沙美)が見かねて札幌からカブに乗って持って来てくれた。

で、2008年、26才の頃、なんか多分悲しい気分にでもなったのか、またカブで放浪してたら「長野県のお月様」「プレスカブのスピードで」「思わずブランキー」と、走りながら3曲も出来たのでした。ラッキー。

その時の歌ですね。

PS.輪茶館、まだあるのかな?と思い今調べてみたら、当時の北区から移転してるが、石狩にあるみたいですね。

PS.上記にスープカレー屋でバイト、とありますが「ピカンティ」の事です。有名店。
カブ買って旅に出て帰って来て一文無しなのでバイトを探してたら、アパート1階ウエストウッドに来てたピカンティオーナーのオサムさんが、君暇ならうちで働きなよ、と言ってくれたのでした。
一番おいしいお店です。2種類のスープの「かいびゃく」の方が特にオススメです。

PS.この歌はちょうど1分なので、時計無い時に1分計らなきゃいけない場面では心の中で歌い、ちょうど1分計ります。
近所の銭湯の温冷浴(水風呂、熱風呂を交互に1分)とかの時に重宝します。

PS.演奏では、最後の最後の「ジャラン!」という感じが、最初なかなか出なくて、メンバーみんなに「ジャン!」じゃなくて「ジャラン!」ね。「ジャラーン!」でも無いよ。と苦心してもらったが、皆さんさすがでアルバムのテイクは見事な「ジャラン!」です。
ギターやピアノはジャラン!にしやすいかも知れないが、当時のベースの寺中さんにまで、ジャラン!を強要してたので、一本の弦でジャランを表現するのは大変そうにしてたのを記憶しています。

PS.そのプレスカブは、稲田堤からの引っ越しの際に、次のアパートに置き場所が無くて売ってしまいました。
が、今から2年位前に、当時お世話になってた方が俺の飲酒を心配して、またカブに乗り出したら少しは飲酒が減るのでは?とスーパーカブを譲ってくれました。
が、90CCのスーパーカブなのでバイク免許取らないと乗れないし、案の定放置してましたが、最近思う所ありまして免許取りに行きました。
普通自動2輪。
無精な俺は最初乗り気ではありませんでしたが、金出してやるから行って来い、とバイクニケツに憧れる嫁に言われ、嫌々通い出したが、途中から楽しくなってきて、教官も驚くほどのスピードで卒業した。(単に生徒の中で一番暇だったのだろう。毎日通い、最速で卒業した。)

↓卒業証書と教習初日に勝手に写されたスナップ写真。
初日だからまだ嫌々で、嫌な事がある時猫背になる癖が出ています。

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10月1日(火) アルバム全曲解説「アズミ」編

2017年の冬に「永遠に、たまに」レコ発ワンマン、2018年は秋田ハイコーフェス、のみでライブを全然やっていない。
そしてまたアルバム録音の準備を進めてて、ライブ予定が無い。
ライブしてないから、勝手に活動休止したバンドだと思ってる人もいるみたいですが、そんな事は無くて、ちょっと変わったやり方かもしれないが、本当に大丈夫なので、色々もう少しお待ちを。

こんな状態ですが、通販でアルバムを買ってくれる人がちょこちょこいて嬉しい。
今までレテパのメンバーだった人達は嫌と言うほど知ってるでしょうが、このバンドはアルバム作りに重きを置いている。
いつかバンドが解散しても、俺が死んだあとも、アルバムはずっと売り続けてほしいし、自然とそうなるレベルの物を作らなきゃ、とやっています。

と、いうわけでライブもしてないバンドですが、アルバム聞いてみたいな、と思ってもらいたいので、過去の4枚の収録曲からランダムに解説していこうと思います。

※僕のレテパシーズのアルバムは、俺の歌をみんなでバンドアレンジにしてやってます。
アルバムの為に歌を作ったりしてるわけではないので、収録曲の出来た年代はバラバラです。
気になる方は「歌詞」のページに各歌の出来た年が載ってます。

※「過去の4枚」と上記にありますが「僕を殺せるのは僕だけさ」をファーストアルバム、としています。
その前に出した「ぴりぴりのファースト」は廃盤です。(回収を頼んでもまだ販売をしてくれてる所があるみたいですが。)

前置き長く、すみません。

それでは、

アルバム全曲解説「アズミ」編

「アズミ」

8年前の10月1日 161倉庫であなたをはじめて見た
あれからもうそんなに経ったのか それしか経たないのか 日によって違うけど

あなたは今夜もどこかで歌っている 僕はそれを布団で聞いている
あなたは夕方 バスに揺られている 僕はソファーで揺れを感じている

夕焼けを何百回? 朝焼けは何千回? 見逃している僕は年もとらないで
夕方 バスは夕日を見せるため あなたを揺らしている あなたは年をとる

8年後の11月 横浜へ久しぶりにあなたを見に行ってみたんだ
変わらないのは輝いている目だけ 木のような人だな 旅は風がするよ

恋人は何十人? 流れ星は何百個? 見逃している僕は年もとらないで
海風は木々を揺らしている あなたを揺らしている あなたは年をとる

さよならは何千回? 思い出すの何万回? 見逃している僕は年もとらないで
思い出は夜をぬらしている あなたをぬらしている あなたは年をとる

明日もバスは夕日を見せるため あなたを揺らしている あなたは年をとる

 

なんでこの歌から解説するかと言うと、冒頭の歌詞が「8年前の10月1日~」なので、先程思い立ちました。今日10月1日なので。
4thアルバム「ブルースマン」に収録されています。
「ブルースマン」発売が2019年だったので、何も知らずに聞いた方は8年前を2011年と思ったかもしれません。
この8年前は2000年の事なので、歌が出来たのは2008年という事になります。
「8年後の11月横浜へ~」の横浜は確か、サムズアップだったと思います。
それまでも何回もAZUMIさんのライブには行ってましたが、このライブの時に初めてちゃんと話したのでした。(理由はブルースマン歌詞参照、この歌はアズミさんの事を歌ったわけではないけれど。)
高校生の頃からファンでした。初めて見たのは札幌の161倉庫でした。アズミさんの「VOLUME6 1999-2000」が出た頃です。その時の前座でHMJというバンドが出ててRCの「お墓」を歌ってました。初めてCDを買ったのは苫小牧のレコード屋ウエストで「ブルーズのいいなり ロックのどれい」でした。等々。

苫小牧のレコード屋ウエスト。
今あるのかは知らないが、俺の人生はここで転機を向えた。(一度しか行った事ないが。)

簡単に書くと、阿部薫、エリックドルフィー、チャーリーパーカー、とアルトサックス奏者達に夢中だった北海道岩見沢緑稜高校三年の俺は、彼らのように第一言語をサックスの音色にすべく、全てをアルトサックスの練習に捧げていた。
が、その頃母親がハマっていた友部正人の歌を聞き、サックスはほうり投げ、歌を歌い出した。(この頃の事は長くなるからまた他日。ちなみにライブスタイルはBSフォーク大全集で見た友川かずき、の影響をかなり受けた。座って、譜面台見ながら、酒飲みながら。これも母が録画してた。全て母のせいだ。)
学校は両親と担任と「退学せず卒業する代わりに、出席日数ギリギリ以外は連絡無しで欠席遅刻早退全て自由。」という密約を結んでいた。
が、学校祭は2日とも出席扱いにならないと「行事」の単位が足りなくなるから、やむなく最後まで出席。
体育館のステージでは19、ラルク、ミッシェル、椎名林檎、ハイスタ、ドラゴンアッシュ、と世紀末のJポップが盛り上がっていて、退屈な俺はウォークマン爆音で友部正人、豊田勇造、シオン、たま、ポーグス、シバ、どんと、浅川マキ、なんかを聞いていた。

その帰り道、エリックドルフィー「AT THE FIVE SPOT Vol.1」の一曲目「ファイアーワルツ」で客のザワザワからの「たららたったた、、、、たらったたーたらったたーたらったたーた、パラリパララー」でもう爆発し、大好きな星野道夫さんの影響もあり旅気分が押さえきれなくなっていて、そのままママチャリで旅に出た。(旅っつーか家出か?)

何日か北海道をあてもなくさまよい、苫小牧にフェリー乗り場があったのでそれに乗り、大洗という所に着き、地図(スマホどころか携帯も持って無かった。嫌いで。)を見ると、東京まで一日で行けそうだったから、東京の祖父母の家に向い、そこで2週間位暮らした。
上石神井に住む親戚の某有名劇団の脚本家を訪ねたら、ガットギター(初代ナカデギター)をくれたので、弾いてみたら「僕の頭が火事になったら」という歌が出来たので(初めて出来た歌だ。)遠藤ミチロウ著の「音泉map」という本に載ってた「アピア」「マーキー」「稲生座」などのライブハウスに、出させて下さい、と、緊張を隠そうと飲めない酒で勢いをつけつつ頼みに行ったが、全て門前払いで、失望感満載で東京を後にし、また大洗から苫小牧行のフェリーに乗った。
フェリーに乗りながら考えてたのは、恋の事と卒業後の進路の事だろう。
進路は担任には「アルトサックスを独学で吹いていくので、進学も就職もしない。」と伝えてあったが、気持ちは完全にアルトから歌に変わっていて「僕の頭が火事になったら」を歌ったら、ライブハウスの人達が「すごい!天才だ!」とか言ってくれて「春一番」とかに出させてくれて、フォークの先人達からちやほやされて、後はなるようになる、と考えていたので、東京のライブハウスの店主達の冷ややかな反応が信じられず、絶望した。
フェリーを降りて、さてこれからどうしよう。あ、音泉マップに苫小牧のレコード屋が載ってたな、と思い寄ってみると、全商品試聴できるという素晴らしいお店。
で、AZUMI「ブルーズのいいなり ロックのどれい」に出会う。
セイコーマートで札幌タウン情報(イベント情報誌)を立ち読みすると、2000年10月1日札幌161倉庫「AZUMI」の文字を見つけ、行く。
その時に店主の御曼KCにデモテープを渡し、KCさんはそれをいきなりAZUMIさんの出番の前のBGMにかけやがって、俺は緊張のあまり倒れないように飲酒で気分をごまかし、どうせまた冷たくあしらわれるのかな、と思ってたら、拾ってくれた。
そこから始まりました。
卒業後は161倉庫のそばのアパートに住み、色々あって、今日に至ります。

PS.演奏面では、高野京介はこの録音でのアコースティックギターの演奏が、自身初のアコギ録音らしい。
使用のアコギは「YAMAKI 型番不明」でこれは「MOON PALACE」店主ホンダに貰ったギター。良い音。
「恋人は何十人~」あたりのベースが飯田裕曰く本人のベストプレイらしい。確かに素敵。

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